17/04/13 20:07:33.18
★67年前、日本は「元号」を奪われる最大の危機にあった
落合道夫(東京近代研究所代表)
今後、今上陛下が譲位されると改元が行われる。改元はすでに元号法があるので問題ないが、
内外の反日勢力が元号反対の宣伝をすると思われるので、我々は、元号について基本的な
ことを知っておく必要がある。一言でいえば、西暦は「道具」であり、元号は「日本民族の文化」
である。元号は現代社会から隠され気味であるが、国家の独立、日本人の歴史、生活、文化、
精神に深い関係がある。ぜひ元号を意識して使いたい。
過去、元号制度に反対し、元号を奪おうとしたのはキリスト教勢力と左翼であった。
キリスト教徒の狙いは日本のキリスト化であり、左翼の狙いは天皇の権威を失墜させることであった。
これは自分たちが天皇に取って代わり、日本の支配者になろうとしていたからに他ならない。
一方、元号維持派の目的は伝統文化の維持であり、実際の年数の管理方法としては西暦との併用である。
URLリンク(ironna.jp)
日本の元号の特徴は朝鮮王朝と違い支那王朝の元号を採用せず、独自の元号を用いていることだ。
これは支那政治圏からの日本の政治的な独立を意味している。また、日本は支那のような易姓革命が
起こらず万世一系なので、元号とは別に民族の歴史を全部つないだ皇紀という概念が成立する。
ちなみに今年は皇紀2677年である。
インドネシア独立記念碑の年号は西暦ではなく、日本の皇紀である2605年と刻まれている。
これはインドネシアが長年のオランダのキリスト教支配から脱したことを示している。
年号は明らかに国家の政治的な独立を意味する。
日本の元号の特徴は朝鮮王朝と違い支那王朝の元号を採用せず、独自の元号を用いていることだ。
これは支那政治圏からの日本の政治的な独立を意味している。また、日本は支那のような易姓革命が
起こらず万世一系なので、元号とは別に民族の歴史を全部つないだ皇紀という概念が成立する。
ちなみに今年は皇紀2677年である。
インドネシア独立記念碑の年号は西暦ではなく、日本の皇紀である2605年と刻まれている。
これはインドネシアが長年のオランダのキリスト教支配から脱したことを示している。
年号は明らかに国家の政治的な独立を意味する。
日本は1945年の敗戦ですべての政治、社会、文化、教育制度が解体された。
この中で元号も法的な根拠を失った。しかし、慣行として元号は広く日本社会で使われていた。
こうした混乱の中で、50年、参議院文教委員会で元号の正式廃止が検討された。
委員長はキリスト教徒の田中耕太郎で、委員はキリスト教関係者や左翼の元号反対派が多かった。
時代は米国の極東政策の転換期であり、日本は再独立に向かっていたので、天皇廃絶を謀る勢力が
占領軍の残された威力を利用して元号を正式に廃止しようとしたのかもしれない。
URLリンク(ironna.jp)
左翼がおどろおどろしく言うように、支配者が元号を通じて国民を支配するというような
ものではまったくない。左翼は元号により帝王が時を支配すると言うが、時を支配できる
人間などいない。便宜上元号という目印をつけるだけだ。我々の生活には共同体には度量衡と
同じように歴史的な時の管理についても共同体共通の基準が必要だ。それが紀元とともに元号なのだ。
反対論者は元号を不便という。しかし、年表をみれば良いだけである。
大切な民族文化を守るのに手間を省いてはならない。
使い分けをすれば豊穣な民族文化を簡単に維持できる。元号を西暦と併用することには誰も反対しない。
改元は日本人の精神に希望を与える。内外多難な時ではあるが、我々は新しい天皇をお迎えし、
新しい時代を創る心の準備を始めようではないか。
URLリンク(ironna.jp)
(抜粋、全文はリンク先へ)