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★沖縄に「大東亜戦争」を評価する記念碑を建てた台湾。台湾政策が劇的に変わる【評論家・江崎道朗】
2017.03.29
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昨年8月15日、台湾の方々の手によって大東亜戦争を「評価する」記念碑が建てられている。
場所は、沖縄南部の糸満市にある沖縄平和祈念公園の、各県の慰霊塔が立ち並ぶ
摩文仁の丘の一角だ。沖縄戦で亡くなった人々を慰霊・追悼する聖地である。
「台湾之塔」という文字は、台湾総統の蔡英文氏による揮毫だ。昨年台湾に誕生した
蔡英文政権は中国共産党と距離を置き、日米との関係を重視している。
日本台湾平和基金会などによる「碑文」には、こう書かれている。
《台湾之塔は、先の大戦に台湾から参戦し散華された軍人軍属などの御霊を慰霊・顕彰する碑であります》
慰霊は霊を慰めるという意味。顕彰とは「隠れた功績・善行などをたたえて広く世間に知らせること」という意味だ。
大東亜戦争において日本軍とともに戦った台湾人の功績・善行をたたえて、
広く世間に知らせようと碑文は呼びかけているわけだ。
お隣の韓国・北朝鮮は、戦前・戦中に日本軍に協力した人たちを批判し、
あるいは「日本軍の犠牲者」だと決めつけ、「反日宣伝」の道具として使っているが、
台湾は、日本軍とともに戦ったことを「功績・善行」と捉えているのだ。
実は先の大東亜戦争は、日本民族だけの戦いではなかった。当時、日本国民であった
朝鮮、台湾の人々もまた大東亜戦争を戦ってくれたのだ。「台湾之塔」の碑文には、こう書かれている。
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《当時台湾から勇んで参戦した20万余の軍人軍属の内、約3万柱の戦没者と1万5千余人の
行方不明者は、共に我々の同胞でした。時代が変わろうと、人が自らの命を犠牲にして他者を
救わんとした行為は、民族や国家の如何を問わず、人道の範として称され語り継がなければなりません》
台湾の青年たちは積極的に日本軍への参加を希望した。『台湾と日本・交流秘話』(展転社)
によると、台湾に対しては1942年から陸軍特別志願兵制度が実施され、その年の募集人員は
1020人だったが、志願者は42万5961人で、競争率は418倍。1943年には、1008人の応募に
対して60万1147人が志願した(競争率は約600倍)。
1944年には海軍志願兵の募集も始まり、陸軍は従来の倍以上の2497人を募集したのに
対して40万人以上が志願した。なかには是非とも合格したいと、血書嘆願する青年が
相次いだ。台湾の人々はそれほど熱心に大東亜戦争をともに戦おうとしてくれたのだ。
その後、戦争の激化により1944年9月には台湾人にも兵役義務が課せら、
終戦までに20万人余りの台湾の人々が軍人・軍属としてともに戦ってくれ、
3万人余が亡くなり、1万5千人余が行方不明者となっている。
今回建立された「台湾之碑」では、日本軍とともに戦った台湾の「戦没者」と「行方不明者」
たちは「自らの命を犠牲にして他者を救わんとした」人たちだと規定し、「民族や国家の如何を
問わず、人道の範として称され語り継」ごうと呼びかけているのだ。
マスコミはとかく戦前の日本に対して批判的な声ばかりを報道するので、日本人の多くは、
「アジアの人々から嫌われている」と勘違いをさせられている。しかし実際は、台湾のように、
日本と大東亜戦争を評価する人や国は多い。我々が、日本を正当に評価するアジアの
人々の声を知らないのは、日本のマスコミが「報道しない自由」を行使しているためなのだ。
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こうした反日の声ばかりを報道するマスコミ報道を鵜呑みにしているのが、民進党だ。
2011年、東日本大震災の際、世界各国が義援金を送ってくれた。
世界の中で最も多くの義援金を送ってくれたのが、台湾であった。その額は実に200億円にのぼる。
ところが、時の民主党(現在の民進党)政権は、翌2012年3月、東日本大震災1周年追悼
式典に参列した台湾代表を、各国代表が座る一階の来賓席ではなく、二階の企業・団体
関係者の席に座らせ、一般参列者として献花させた。
このように、外国の大事な友人に対して平気で無礼なことをするから民進党は国民から支持されないのだ。
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