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2017.2.10 05:30
★【竹島を考える】釜山に続き独島にも「慰安婦像」を…止まらぬ韓国側の暴挙 日本の対抗措置は有効なのか 下條正男・拓殖大教授
韓国北西部・京畿道(キョンギド)議会の団体「独島愛・国土愛の会」が先月、
慰安婦像を竹島に設置するための募金運動を行ったが(その後、運動の主体を
民間に移すとして活動を中断する考えを表明)、これは昨年12月、韓国の
市民団体が釜山の日本領事館前に慰安婦像を設置したことをめぐり、
日本政府が抗議のために駐韓日本大使と釜山総領事を一時帰国させた
ことへの対抗措置だという。
■竹島に慰安婦像を建てて何がしたいのか
京畿道議会の憤慨はそれだけでは収まらなかった。2月22日の「竹島の日」を前に、
7日からソウルの日本大使館前でデモを始めた。
だが竹島は、歴史的に韓国領であった事実はなく、竹島を不法に占拠しているのは
韓国である。その竹島に慰安婦像を建てて、何がしたいのだろうか。自ら捏造(ねつぞう)
した歴史に翻弄(ほんろう)された彼等にとって、究極の目的は日本批判なのであろう。
慰安婦の呼称も、戦前は「娼妓(しょうぎ)」や「酌婦(しゃくふ)」と称するのが一般的だった。
「慰安婦」は、1950年の朝鮮動乱以後、韓国に駐留した国連軍の近くで春を鬻(ひさ)
いでいた女性たちの呼称で、「日本軍慰安婦」は、韓国側の新造語である。
その慰安婦像も、今は平和の少女像となった。
■妓生は朝鮮版「慰安婦」
さらに朝鮮時代には、朝鮮王朝が北方に領土を拡張するとともに、武官たちの身辺の
世話をする「妓生(キーセン)」がいた。妓生は、「軍士の妻無き者に侍す」目的で
設置された朝鮮版「慰安婦」である。
■歴史から排除された「貧困ゆえの身売り」
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「娘を売る」という状況は、貧しい時代の日本にもあった。明治維新以後、
日本が殖産興業に全力を傾け、急激に工業化が進むと、相対的に農村地域が没落して、
農民たちは窮乏した。
これと似た現象が、日本が統治していた朝鮮半島でも起きた。
朝鮮の経済成長が急であったため、貧富の格差が拡大し、貧困層はその影響を被った。
そのため韓国側の「慰安婦」と称する女性たちの中には、「貧しさから身を売った」と発言し、
女衒(ぜげん)に騙(だま)され、慰安婦となったとする老女たちもいたが、慰安婦問題が
国際的イシューとなると、そうした発言は歴史から排除されていった。
慰安婦は、「強制連行」された「日本の蛮行の犠牲者」で、「性奴隷」でなければならないからだ。
■金丸訪朝からヒントを得た韓国の市民団体
その韓国で、慰安婦問題が浮上したのは、1990年に自民党の金丸信元副総理と社会党の
田辺誠副委員長が北朝鮮に渡り、自由民主党と日本社会党、それに朝鮮労働党による
『三党共同宣言』で、「戦後45年間、朝鮮人民が受けた損失について」「十分に償うべきである」
として、「戦後補償」に言及してからである。
この金丸訪朝からヒントを得た韓国の市民団体は、日韓国交正常化交渉の際、
慰安婦は問題にならなかったとして、「戦後補償」を求めたのである。
■河野談話、村山談話から慰安婦が性奴隷に
一方、当時の韓国政府は、1965年の「日韓基本条約」で請求権問題は解決済み、
との立場を明確にしていた。
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それが、1993年に日本政府から「河野談話」(慰安婦関係調査結果発表に関する
河野内閣官房長官談話)が発表され、続く1995年の「村山談話」(「戦後50周年の
終戦記念日にあたって」と題した村山富市首相の談話)で「植民地支配と侵略」などと
したことから、韓国側ではそれらを言質とし、日本に反省と謝罪を求める論拠としたのである。
慰安婦は、「河野談話」や「村山談話」などが公表されると、いつの間にか「強制連行」や
「日本の蛮行の犠牲者」となり、「性奴隷」となった。
■日本を窮地に立たせた外交的失策
これは韓国側の要求に安易に応じた、日本の外交的失策である。それも国会議員たちの
生半可な信条信念が、日本を窮地に立たせてしまったのである。
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