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2017.1.28 23:06
★台湾の国連残留、最後まで尽力 中国の抱き込み工作も記録 ニクソン・ショックに揺れた佐藤栄作政権 楠田實・元首席秘書官の資料まとまる
戦後最長の政権を築いた佐藤栄作元首相の首席秘書官を務めた楠田實氏が残した
約9万2千ページの資料を、神田外語大の和田純教授が13年かけて分析、分類し、
「楠田實資料(佐藤栄作官邸文書)」として取りまとめた。楠田氏は在任中から
重要文書を集積しており、激動期の昭和政治史で7年8カ月の長期政権を実現した
要諦を解明する手がかりになりそうだ。
「楠田資料」には、佐藤政権が取り組んだ最大の政治課題である沖縄返還交渉や、
国連の中国代表権問題などで決断を迫られる日本政府の動向に関する文書が
未公開分を含めて多く収録されている。「極秘」扱いの文書のほか、「未定稿」と
書かれた検討段階の文書も含まれており、佐藤政権の政策決定過程もうかがえる。
楠田氏は早大卒業後の昭和27年に産経新聞に入社。政治部次長を経て
42年から佐藤元首相の首席秘書官を務めた。佐藤政権実現に向けて生まれた
政策集団「S(佐藤)オペレーション」の中心的役割を担い、長期政権を支えた。
平成15年に亡くなった楠田氏が自宅に残した資料は段ボール箱で102箱に上り、
佐藤政権に関する資料は約60箱あった。ただ、時系列やテーマとしてまとまっていない
文書も多く、和田氏が分析、整理して「件名目録」を付した。
URLリンク(www.sankei.com)
◇
昭和46年7月15日、ニクソン米大統領が当時国交のない中華人民共和国
(中国)を訪問すると宣言した「ニクソン・ショック」は、世界の秩序を一変させる
電撃的な発表だった。ニクソン政権は中国との交渉を同盟国である日本政府にも
秘して進めていただけに、「楠田實資料」からは、頭越しの米中接近で受けた
衝撃が生々しく伝わってくる。
その一つが牛場信彦駐米大使と、極秘に訪中し交渉してきたキッシンジャー
大統領補佐官のやり取りに表れている。
「日本に与えたショックは承知しており、極めて遺憾に思っている」
同23日、キッシンジャー氏は牛場氏と会談し、率直にわびた。牛場氏が懸念していたのは、
米国が中国と外交関係を樹立する代わりに、中華民国(台湾)を見捨てることだった。
キッシンジャー氏は「ニクソン訪中の結果として国府(台湾)との断交に進むことは絶対にない」と断言した。
ただ、国連の中国代表権問題をめぐっては、国連加盟国間で中国支持が強まり、
46年秋の国連総会では、中国の国連参加と台湾の国連追放が焦点となっていた。
ニクソン訪中はこうした国際情勢で突如、発表され、台湾はさらに不利な状況に置かれていった。
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当時の外務省調査部企画課が作成した「極秘 無期限」の資料からも米中接近に、
強い警戒心を抱いていたことがうかがえる。
「中共(中国共産党)の要求に米国がどこまで対抗し『旧友を犠牲にしない』との立場を
完全に守り得るか」「中共側にとっては日本の世論の分断や日米離間策の推進が一層有利になった」
台湾の国連残留に最後まで尽力した佐藤政権に対し、日本国内では「バスに乗り遅れるな」
の大合唱が政財官界を飲み込んだ。自民党親中国派からも日増しに圧力が強まった。
同年9月に作成された取扱注意文書では「(中国が)招待外交等により日本の一部
指導層を抱き込み、中共の主張を支持する勢力の拡大を図る」と分断工作があった
ことが記録されている。
中国が国連の多数派工作で利用したのがアルバニアだった。アルバニアなどは同年7月、
中国の代表権回復と台湾追放を求める決議案を提出。これに対抗する形で米国などは
中台双方に議席を与える「二重代表制決議案」と、台湾追放は3分の2以上の多数決で
決定する「追放反対重要問題決議案」を提出した。これには中国に安全保障理事会
常任理事国の席を与えることも含まれていた。
10月25日の国連総会審議で、追放反対重要問題決議案は否決され、
アルバニア決議案が賛成多数で採択された。台湾の代表はアルバニア決議案の
表決に先立ち、総会議場から退場、国連から脱退した。
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