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【国際】ダライ・ラマ制裁に苦しむ、モンゴルが切るインドカード [01/14] - 暇つぶし2ch1:◆CHURa/Os2M@ちゅら猫φ ★
17/01/14 16:09:41.92
★ダライ・ラマ制裁に苦しむ、モンゴルが切るインドカード
2017年1月14日(土)11時00分
楊海英(本誌コラムニスト)

モンゴル駐インド大使が最近、インド外務省に書簡を送ったという。
中国の習近平(シー・チンピン)政権によるモンゴルへの制裁を解除するよう、
モディ首相から働き掛けてほしいとの内容らしい。

事の発端は16年11月末に実現したチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世(81)の
モンゴル訪問。5年ぶり、9度目の訪問だった。中国外務省の報道官は「ダライ・ラマは
法衣をまとったオオカミで分離独立分子」と口汚く批判。さらにモンゴルから輸入する鉱物に
高関税を課し、決まっていた元借款を凍結するなど厳しい制裁を発動した。

困ったモンゴルがインドに助けを求めたのには訳がある。仏教に代表されるチベット文明は
インドにルーツがあり、モンゴルはチベット仏教の強い影響下にある。モンゴル、チベット、
インドを結ぶ絆はダライ・ラマ亡命で強まっている。今回、中国から圧力を受けたモンゴルが
中国と地政学的に対峙するインドに頼るのは自然だ。

「世界の屋根」チベットを自国の「古くからの領土にして核心的利益」と位置付ける中国は
1950年に人民解放軍をチベットの首都ラサに進駐させた。54年、19歳の少年が北京に
到着して、61歳の毛沢東とチベットの政治的地位を協議。百戦錬磨の毛に呼ばれた
青年ダライ・ラマは「宗教は麻薬だ」と脅され、宗教改革を強制された。
その後、中国はチベットの仏教寺院を破壊し、僧侶を還俗させる過激な政策を実施。
ラサに軍事的な圧力をかけると、ダライ・ラマは59年に亡命した。

以来、中国は「ヨーロッパの中世よりも暗黒な、政教一致の封建制から解放したチベットを、
一気に共産主義に迎え入れた」と宣言。過酷な統治を続けてきた。当初は独立を唱えた
ダライ・ラマも近年では自らの存命中にチベット問題を解決しようと、中国への要求を
「高度の自治の実施」に引き下げた。しかし、北京は対話のドアを閉ざしたままだ。
高齢のダライ・ラマの「成仏」を待っているからだ。

■漢民族にまで高い人気
ダライ・ラマは習国家主席の父、習仲勲(シー・チョンシュン)と交流があり、以前は現体制に
期待を寄せていた。しかし、毛沢東時代に復古しつつあると判断してからは、両者の対話も
途絶えてしまった。

中国が恐れているのは、ダライ・ラマが「チベット仏教文化圏」全体に持つ権威だ。
チベット自治区そのものだけでなく、その東の四川省西部と青海省、それにモンゴリア
(モンゴル国と中国内モンゴル自治区)と旧満州、シベリア南部の住民はほとんどが
チベット仏教の信者だ。

URLリンク(www.newsweekjapan.jp)

16年のモンゴル訪問中も、ロシア連邦のトゥワ、ブリャート各共和国から信者が現地に集結。
ブリャートでは近年、ロシア正教から改宗するロシア人も出現。チベット仏教徒は数こそ
3000万人前後だが地域的な広がりが大きく、民族問題が先鋭化している点も重なる。
だから、北京は神経をとがらせているのだ。

ノーベル平和賞を受賞したダライ・ラマは哲学思想をユーモラスに分かりやすく語るので、
実は漢民族にも人気が高い。従来は在外の漢民族や香港、台湾にファンが多かったが、
近年では中国国内でもその説教に耳を傾ける人たちが増えてきた。

急速な経済成長で精神的な世界を失い、実質的に国家資本主義制度の搾取に
あえいでいる漢民族の貧困層まで、チベット仏教に救済を求めている。
こうした国内外のブームは共産党の一党独裁を根幹から揺るがしかねないため、
中国はダライ・ラマの外国訪問を糾弾してきた。

(以下リンク先で呼んでください)

URLリンク(www.newsweekjapan.jp)

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