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★「差別認定」という善意の政治は差別の総量を少しも減じない
2016.12.05 16:00
10月、沖縄県東村高江周辺の米軍北部訓練場内のヘリパッド建設に抗議する人々に対し、
大阪府警機動隊員が「土人」や「シナ人」と発言してから1か月以上が過ぎたが、
波紋は今もおさまらない。そもそも「土人」という言葉は差別語なのかについて論じた
評論家の呉智英氏が、差別を認めることが果たして差別を減じることにつながっているのか
について論じる。
* * *
沖縄で機動隊員が口走った「土人」「支那人」問題は予想以上に根が深い。
ここで根が深いというのは、日本人の差別意識には根深いものがあるという意味ではない。
日本人の差別意識については別途考察するとして、今回感じるのは、ジャーナリズムに
代表される知識人世界が俗論に深く侵蝕されているという現実だ。
11月8日朝日新聞のWEB RONZAに三島憲一が「土人、シナ人…復活する差別語・侮蔑語」
を執筆している。プリントを取り寄せて一読したが、とてもニーチェ学者が書くものとは思えない。
(中略)
三島は俗論をそのまま信じているが、そもそも「土人」も「支那人」も差別語ではない。
土人を差別する言葉も支那人を差別する言葉も別にある。あまりにも下品・低劣な言葉で、
日本を代表する高級誌「ポスト」にふさわしくないから、私は書かないだけだ。
件の機動隊員やネット右翼は、下品な上に無知だから、かえってそういった差別語を知らないのだろう。
しかし台湾の支那人は本土の支那人をそうした差別語で呼ぶ。
URLリンク(www.news-postseven.com)
三島は、1997年まで存続した「北海道旧土人保護法」を今回の機動隊発言の傍証のように持ち出している。
この法律については、1986年秋、国会でその「名称」が問題になった際、「朝日ジャーナル」
誌上で私が論じている(『バカにつける薬』所収)。
この「旧土人保護法」の「旧」は、大日本帝国憲法を「旧憲法」と通称する時の「旧」ではない。
「旧土人」を“保護”する法という意味である。「旧土人」とは「旧弊で土まみれの人」という
意味ではなく「旧から土着していた人」という意味である。その土着人を資本主義の荒波から
“保護”するという名目の法律が「北海道旧土人保護法」であった。
ここで思い出すべきは、ニーチェのドイツ皇帝批判である。皇帝はアフリカの奴隷解放を口実に
植民地化を企図した。これをニーチェは批判したのだ。同じように弱者“保護”は、しばしば弱者を
抑圧する。この逆説は既に19世紀末に現れ、ニーチェの慧眼はこれを見抜いたのだ。
前にも書いたが、「差別認定」という善意の政治が文化を圧殺し、しかも差別の総量は少しも
減じていない。アメリカのポリティカル・コレクトネス(用語適正化)やアファーマティブ・アクション
(差別是正策)も同じ問題を抱えている。三島憲一には、ニーチェ学者らしい見識を期待したい。
URLリンク(www.news-postseven.com)