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★なぜアメリカ国民は暴言王・トランプに“賭けた”のか?―「メリー・クリスマス!」が言えなくなったアメリカ社会の窮屈さ
2016.11.10
■「メリー・クリスマス!」が言えなくなったアメリカ社会
トランプ氏が大統領になるかもしれないと昨年の今頃言っていれば、
「あいつはバカだね」と言われたかもしれない。「あれは泡沫候補だよ」と言われたかもしれない。
しかし、実は昨年の時点で、トランプ氏への追い風が吹き始めていた。
私も昨年12月、ニューヨークにいたのだが、五番街の喧騒の中を歩いていて、強い違和感に
襲われたことを覚えている。世界一のブランドショップ街に、「メリー・クリスマス!」の
文字がほとんど見当たらなかったのだ。一年を通じて最大の商戦であるクリスマス商戦の
真っ只中にもかかわらず、五番街にはメリー・クリスマスに代わって、「ハッピー・ホリディズ!」
の文字が溢れていた。
このような変化はここ3~4年、徐々に進んできた。それは、異教徒に対する“配慮”からだと聞いた。
ニューヨーク在住歴25年の日本人女性は、事もなげに私にこう言った。
「友人にも、ハッピー・ホリディズですね。どんな宗教を信じているかわからないし……」
ご存知の通り、アメリカ社会は人種・宗教のるつぼであって、既に非英語人口は約20%に及ぶと言われている。
WASP(白人・アングロサクソン・プロテスタント)が社会の基盤にあった時代は、遥か遠い過去である。
「どうしてキリスト教のお祭りなのに、ユダヤ教の人もイスラム教の人も仏教の人もメリー・クリスマスと
言わなくてはいけないんだ? それはキリスト教の驕りではないのか? 宗教の押し付けは止めてくれ」
このような動きが現在のアメリカ社会に、強いうねりとしてある。
もちろん、アメリカの新聞の中にも、「ハッピー・ホリディズ」なんて言わないで、
「メリー・クリスマス」という言葉をそれぞれの宗教の人々が微笑で迎えるような多様性や
寛容性があってもいいんではないか、という論調もあるが、それは少数意見である。
クリスマスツリーを飾るのも、「果たしてこのアパートメントでは、いいんだろうか?
ここにはイスラム教の人もいるんじゃないか? それは宗教の押し付けになるんじゃないか?」
と気兼ねする不思議な風潮。
URLリンク(nikkan-spa.jp)
アメリカ社会では、今まで無邪気に謳歌してきた楽しい行事が、「多様な」という価値観に
がんじがらめに覆われてしまっていたのである。
多様な価値観を認めようとするあまり、大切な価値観にふたをしてしまう、あるいは元々ある
伝統的な価値観は古いと葬ってしまう社会の動きに潜む「非寛容さ」。
これこそが、今のアメリカ社会を窮屈にしているのではないだろうか。
「多様な価値観を認めよう」という考え方そのものが、実は多様な宗教観や価値観、多様な楽しみ、
生き方、そういうものを逆に縛る一神教的な教義となってしまっているのだ。このような現象は
今の日本でも同じように見られることである。
少数意見は尊重されなければならない。それは、成熟した社会の一つのベクトルだろう。
しかし、一方で多数意見や曲げるべきではない常識、伝統も尊重されるべきものではないだろうか。
【佐藤芳直(さとう・よしなお)】
URLリンク(news.infoseek.co.jp)