【スーチー氏来日】1000人のミャンマー難民が暮らす高田馬場「リトル・ヤンゴン」 帰国後は両国の架け橋になりたいとチョウチョウソーさん [11/02]at NEWSPLUS
【スーチー氏来日】1000人のミャンマー難民が暮らす高田馬場「リトル・ヤンゴン」 帰国後は両国の架け橋になりたいとチョウチョウソーさん [11/02] - 暇つぶし2ch1:ちゅら猫 ◆CHURa/Os2M@ちゅら猫φ ★
16/11/02 13:46:13.05
★<スーチー氏来日>帰国願う在日ミャンマー人、国造りの力に
毎日新聞 11/2(水) 11:16配信

来日しているミャンマーのアウンサンスーチー国家顧問兼外相(71)が2日午前、
東京都内で開かれた在日ミャンマー人の集会に出席した。祖国への思いを胸に会場に
駆けつけた人たちの中に、軍事政権の弾圧から逃れて来日し、東京・高田馬場で
ミャンマー料理店を経営するチョウチョウソーさん(53)の姿もあった。

ヤンゴン出身のチョウチョウソーさんは大学で経済学を学び、会計士に。1988年、
軍事独裁政権を批判して全土に広がった民主化運動に参加した。軍は僧侶や学生ら
市民に発砲、大勢の死傷者が出たとされる。

知人が拘束され、身に危険を感じたチョウチョウソーさんは91年に日本に渡った。
工事現場や飲食店で働きながら、世界各地に散った同胞向けの雑誌を発行。
95年11月に毎日新聞で連載が始まったスーチー氏の手記「ビルマからの手紙」
を翻訳するなど、日本から祖国の民主化を支えてきた。

98年に日本政府から難民認定され、離ればなれに暮らしていた妻ヌエヌエチョウさん
(47)を日本に呼び寄せて料理店を開いた。

近所には軍政を逃れるなどした1000人前後の同胞が身を寄せ、一帯は「リトル・ヤンゴン」
とも呼ばれる。日本で生まれ育った2世の子どもも暮らし、「ルーツを忘れてほしくない」
と2年前、毎週土曜に地元の子どもたちを集めてミャンマー語教室を始めた。

昨年の選挙でスーチー氏が率いる国民民主連盟(NLD)が圧勝し、ミャンマーは民主化に
向けて歩み始めている。チョウチョウソーさんは今年3月、25年ぶりに祖国の土を踏んだ。
日本や欧米からの投資が活発化し、ヤンゴン中心部は高層ビルが建ち並ぶなど様変わりしていた。
一方、郊外に出ると懐かしい農村の風景が広がっていた。「ゆっくりではあるが経済が発展し、
民主化も進んでいる」。帰国への思いが募ったという。

この25年で民主主義や資本主義のシステムも学び、発展の先に富の偏在という問題が生じる
ことも知った。「祖国は発展の一途をたどるだろうが、摩擦も必ず起きる。そんな時に蓄えた
知識を生かしたい」と話す。

帰国後の夢は、日本文化や日本語を教える機関を作り、両国の懸け橋になる人材を育てること。
政治家として国に貢献したいという思いも強い。

URLリンク(headlines.yahoo.co.jp)


レスを読む
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch