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★ブラジル人、出稼ぎから永住決意 医療体制や治安の良さ、日本魅力
(2016年7月24日午後5時10分)
6月上旬、福井県越前市内の新居に、友人や子どもの同級生約30人が詰め掛けた。
二男(14)の誕生日と柔道の黒帯取得を祝うパーティー。日系3世の妻(47)お手製の
ケーキや、バーベキューでもてなした。一家の主ゴメス・アレシャンドレさん(43)は
「たくさんの友達に楽しんでもらえて良かった」と目を細めた。
同市に20年余り住むブラジル人のアレシャンドレさんは昨年、念願のマイホームを購入した。
2階建て、5LDKの一戸建て。夫婦と子ども2人、妻の母の計5人家族がゆったりと過ごせるリビングはお気に入りの場所だ。
「市内のブラジル人が家を買うようになったのは、7、8年前から」だという。知り合いだけでも、
20人以上がマイホームを所有する。
請負会社の契約社員として同市近隣の工場で働く。正社員のような保証された身分では
ないので踏ん切りがつかなかったが、万が一のときは別の仕事を探そうと考え、決断した。
35年のローンは重いが、これからも日本で暮らしていきたかった。
■ ■ ■
サンパウロ市出身。入管難民法改正後の1993年、出稼ぎ目的で20歳の時に来日した。
当時は円高もあり、日本で稼いだお金は母国では何倍、何十倍もの価値があった。
当初は「3年ほど働き、ブラジルで大学に通うお金がたまったら帰ろう」と考えていた。
ディーラーで車を洗うアルバイトを皮切りに、食品会社や工場に勤務。永住を考えるように
なったきっかけは、長男(2011年死去、享年16)の病気だった。筋肉が萎縮していく
難病の筋ジストロフィー。07年、12歳から越前市の南越養護学校(現南越特別支援学校)に通った。
同校の設備は十分にバリアフリー化されていて、生活に必要な電動車いすは行政がかなりの
額を補助してくれた。近県の病院では、最先端の治療を受けることができた。母国で同じ
環境や医療を望むのは難しかった。日本での生活に慣れ、治安の良さも魅力に感じていた。
■ ■ ■
長男の死から5年がたち、二男は中学2年、長女(10)は小学5年になった。ともに越前市
生まれで日本語は堪能。友達も多いという。
4月、アレシャンドレさんは町内のブラジル人に誘われ壮年会に入った。「私たち家族が幸せに
暮らすことができ、日本に感謝している。私も日本人にいいことをしたい」。2人の子どもほど
日本語が上手ではないが、これからは地域の活動にも関わっていくつもりだ。
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8月にリオデジャネイロ五輪が開かれるブラジル。福井県越前市には、県内の8割超に当たる
約2300人のブラジル人が暮らしている。在留期間が長くなり、永住を志向する人や日本
生まれの世代も増えている。地域、教育、労働の現状や多文化共生に向けた取り組みを追った。
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