16/07/20 08:08:19.90
2016.7.20 05:00
★【竹島を考える】韓国利する日本学者のトンデモ提案…「独島海域に日本の漁業権利を」は盗人に追銭 下條正男・拓殖大
2014年11月21日、ソウルで「独島(竹島)問題は日本でどのように議論されているのか」
と題し、国立ソウル大学日本研究所主催の国際学術会議が開かれた。会議の内容は
2015年6月、同名タイトルの本として刊行され、それぞれの発言を確認することができるが、
残念なことに、日本側の竹島研究の現状を正確に伝えた人士はいなかった。理由は簡単。
韓国側が「竹島は日本領だ」と主張する人物など、最初から招かないからだ。
韓国側が主催する竹島問題や日本海呼称問題、慰安婦問題などに関する国際会議は、
いずれも政治的宣伝の色合いが強い。そのためお呼びがかかるのは、これまで韓国側の
主張に同調したか、同調することが期待されている人々だけである。
今回の会議に、日本から参加したのは、和田春樹・東京大学名誉教授▽池内敏・名古屋
大学教授▽孫崎享・城西国際大学大学院講師▽福原裕二・島根県立大学教授
▽東郷和彦・京都産業大学教授▽岩下明裕・北海道大学教授-の6名だった。
常連の和田氏は、2012年10月に平凡社から出版した新書『領土問題をどう解決するか』
の中で次のように述べている。
URLリンク(www.sankei.com)
「1905年1月の日本の竹島領有は、はじまっていた朝鮮侵略の中で、5年後の韓国併合の
前触れとしておこなわれたという点にあります。日本の側からこの主張を論駁(ろんばく)することは
不可能です」「韓国が国際司法裁判所への提訴に同意しないのはこのためです」
「朝鮮植民地支配を反省する日本としては、竹島が『日本固有の領土』であり、韓国の支配
は『不法占拠』であると主張するのは、没道義的であるといわねばなりません。日本は、竹島に
つづいて朝鮮民族の大事な国土、朝鮮半島を不法占拠して、自らの領土にしてしまい、
35年後に返さざるをえなくなったのです」「韓国が実効支配する竹島=独島に対して
主権主張するのは、断念する以外に道はありません」(231ページ)
和田氏が、韓国側から「良心的」とされる理由がここにある。この論理は、1954年10月28日、
竹島を武力占拠した韓国政府に対し、日本政府が竹島問題を国際司法裁判所に提訴する
よう提案した際に、それを拒否した時に示した「歴史認識」と重複する。
URLリンク(www.sankei.com)
だが歴史認識は、歴史の「事実」ではない。この韓国側の歴史認識は、韓国政府が1952年
1月18日に「李承晩ライン」を宣言し、竹島を韓国領として以後、その正当性を示すために
創り上げた論理だ。和田氏は、それを無批判に採り入れ、竹島の日本領編入を「5年後の
韓国併合の前触れ」としたのである。
歴史的事実として竹島が韓国領であった事実はない。
1910年の韓国併合と竹島の日本領編入は、別個の問題なのである。
韓国側の主張を参考に同書を著した和田氏は、竹島問題の実際が理解できていないのであろう。
1877年に明治政府の太政官(当時の日本の最高行政機関)が発した『太政官指令』に対する評価にしてもそうだ。
そこには「竹島外一島(ほかいっとう)(竹島と他の一つの島)本邦関係これなし」とした文言がある。
韓国側はこの「竹島」が現在の欝陵(うつりょう)島、「外一島」が「松島」(江戸時代の竹島の呼称)、
つまり現在の竹島と理解し、太政官指令の文言は明治政府が欝陵島と現在の竹島を日本領から
除外していた証拠で、日本が日露戦争の最中に「外一島」を日本領としたのは侵略行為だ-としたのである。
URLリンク(www.sankei.com)
だがそのためには、太政官指令で「本邦関係これなし」とされた外一島の「松島」が、
今日の竹島であったのかどうか論証する必要がある。
当時の海図や地図では、「竹島」と「松島」以外にリャンクール島も描かれていた。
今日では、そのリャンクール島こそが1905年1月28日、閣議決定で日本領となった竹島であることが
分かっている。つまり、太政官指令で外一島とされた「松島」は、現在の竹島ではなかったのである。
(以下リンク先で読んでください)
URLリンク(www.sankei.com)