16/07/01 11:10:30.75
★EUの盟主ドイツで「イギリス離脱」はどう報じられたか~これって「イジメ」じゃない?
結論が出て、ますます混迷深まる
2016年07月01日(金) 川口マーン惠美
■イギリス人は、ソレが我慢できなかった
6月23日の国民投票で、イギリスはEU残留か、離脱かについて決めたはずなのに、投票が終わって一週間、
その行方は、さらにわからなくなってしまった。
イギリスとEUは、元々それほど相性が良いわけではない。EUの前身はEEC(欧州経済共同体)、そしてEC
(欧州共同体)だが、1960年代以来、イギリスは長い間、この共同体に加盟するか否かですったもんだを続けた。
その挙句、イギリスがようやく加盟を申し込めば、ド・ゴール将軍に徹底的に妨害され、その後、ド・ゴール将軍が引退し、
イギリスの加盟が決まれば決まったで、イギリス人はその決定が正しかったかどうか、再び深く悩んだのである。
結局、イギリスは、EC加盟のわずか2年後の1975年に、初めての国民投票を行って、もう一度その是非を国民に
問うている(結果は67%で加盟を是認)。しかしその後も、イギリスはユーロを導入せずに独自の通貨を使い続けたし、
シェンゲン協定にも入らず、好きなように国境検査をしていた。
また、EUへの拠出金は大幅にまけてもらっていたし(1984年のサッチャー首相の「I want my money back」以来、
今日まで)、EUで決まったことも、幾つかの分野では必ずしも守らなくても良いという特別待遇まで認められていた。
だから、イギリス人がEUから離脱したいと言い出したときには、ドイツ人もフランス人も、「イギリスの大陸嫌いが、
また出てきたか」と思うだけだった。
投票前にドイツで流れていたニュースは、右派の“ポピュリストたち”が反イスラム、反移民で国民を焚きつけ、
イギリスを誤った方向に導こうとしているというものばかりだったが、何もポピュリストたちが焚きつけなくても、
この国にEU懐疑派が伝統的に存在することは皆が知っていた。
そもそも、反EUであろうが、なかろうが、イギリス人が一番嫌っていたのは、移民でもイスラムでもなく、
EUという構造の中で、自国の主権を次第にEUに譲り渡していかなければならないことだった。
EUに加盟している限り、EU憲法に従わなくてはならない。
そして、EU憲法は、すでに各国の最高裁の判決を覆す力を持っていた。イギリス人は、それが我慢できなかったのだ。
URLリンク(gendai.ismedia.jp)
とはいえ彼らは、まさか自分たちが本当にEUを離脱するとは思っていなかったはずだ。これを契機に、EUの権力の
増大を牽制し、EUの構造改革を促し、望むらくは自国の権利や主張を強めたい、というあたりが狙い目ではなかったか。
ヨーロッパの統合は、経済のみで十分だと彼らは思っていた。もちろん、金融大国イギリスが、ちゃんとEUから
恩恵を受けていることも知っていた。すっぱり抜けたいと本気で思っていた人は、はたしてどれだけいただろう。
■ドイツメディアは「Brexit」をどう報じたか
ところが、24日の朝、目覚めると、EUは大変なことになっていた。イギリス人は、自分たちがEUの傘の外に
放り出されてしまったことに気づいた。それも、よく考えてみれば、自分たちの意思で!
しかも、残留派と離脱派の数はそれほどカツカツではなかった。離脱派が120万票以上多かったのだから、
皆、頭の中がかなり混乱したことと思う。
このあとのドイツでの報道は、たいへん興味深かった。
まず、すぐに書かれたのが、イギリスで突然、「Brexit(「Britain」+「exit」)」の検索が爆発的に増えたということ。
今頃、検索しているということは、彼らはEU離脱の意味を理解しないまま投票したにちがいない、という揶揄である。
イギリス人をバカにしている。
●“Nach Abstimmung: Briten googeln, was der Brexit bedeutet” SPIEGEL-ONLINE, 24.06.2016
また、若い人の7割は残留に投票したという記事もすぐ出た。にもかかわらず年寄りのノスタルジーが勝ってしまい、
その結果、かわいそうな若者たちは、これから死ぬまで哀れなイギリスで生きていかなければならないという趣旨だ。
しかし、無記名投票である限り、何歳の人が何に投票したかなどということが、翌日正確にわかるはずはない。
変なニュースだと思い、ここにリンクを貼るつもりだったが、なぜかもう、この記事は見つからなかった。
>>2へ続く