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★「故郷は危険、日本に逃れたけど」 難民申請者はいま
北村有樹子2016年6月13日08時17分
紛争や迫害で住む場所を追われた世界の難民や国内避難民は第2次世界大戦以降、
最多を更新している。ボートで海を渡り、線路を歩く姿など海外の報道は増えたが、
国内には難民が少なく、接する機会はあまりない。日本で暮らす難民申請者たちに、
逃れてきた経緯やいまの思いを聞いた。20日は「世界難民の日」。
■生まれは難民キャンプ
「好きで難民申請したわけではない。他に自分を守る選択肢がないからと分かってほしい」
2011年11月に来日し、京都市で暮らすアフガニスタン出身のイーダック・モハマッド
・レザさん(34)はこう話す。
アフガニスタンの少数民族ハザラ人だ。ヘラートという都市で、孤児のために活動している
日本のNGO「ラーラ会」の職員として働いていた。すると反政府武装勢力タリバーン派から
「キリスト教に改宗した」という根拠のない理由で死刑宣告を受け、自宅を襲撃されるなど
迫害を受けるようになったという。身の危険を感じ、NGOの助けで日本に来た。
難民認定を申請したが、アフガン政府がタリバーン派を取り締まっているなどとして
認められなかった。昨年1月、不認定処分の取り消しを求め、提訴した。
政情不安に翻弄(ほんろう)され続けている人生だ。旧ソ連のアフガン侵攻で紛争が起こり、
生まれたのはイランの難民キャンプ。10歳ごろ送還され国に戻った。約20年で再び国を離れることに。
NGOの支援のもと同志社大学に入学。4年生で公共政策などを学ぶ。現在の在留資格は
来年6月までの留学ビザだ。レザさんは、専門性を身につける方が就職しやすいと考え
大学院に進学を希望している。「難民と認めてもらえるかは日本の国次第。今は危険で帰国できない。
日本で暮らせる在留資格が欲しい」
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