【共産党研究】9条に唯一反対した共産党が“護憲を一手に担う政党”に変貌した経緯 [06/16]at NEWSPLUS
【共産党研究】9条に唯一反対した共産党が“護憲を一手に担う政党”に変貌した経緯 [06/16] - 暇つぶし2ch1:ちゅら猫φ ★
16/06/16 16:34:30.78
★【共産党研究】9条に唯一反対した共産党が“護憲を一手に担う政党”に変貌した経緯
2016.06.16

「共産党はもともと護憲政党だ」と誤解している人も少なくないはずだ。だが、日本国憲法が制定される際、
政党として唯一反対したのが共産党だった。反対理由は、天皇条項と第9条だった。

第9条に反対したのは、当時の吉田茂内閣が日本の独立を守るための自衛戦争すら否定していたからだ。
自衛戦争を肯定するということは、軍備も肯定するということである。

将来的な憲法改正を掲げていたとはいえ、共産党は政権に就いたことのない弱小野党だった。
具体的に改憲を提起することはなかった。それどころか、実際の運動では、自民党の改憲の動きに
反対することが中心になり、「憲法改悪反対」がメーンスローガンになっていった。

その結果、党員が実際に行ってきたことは、事実上の「第9条守れ」運動だったのである。

共産党が公式に護憲方針に転じたのは、1994年4月の第20回党大会である。
この党大会で「憲法第9条にしるされたあらゆる戦力の放棄は、綱領が明記しているようにわが党が
めざす社会主義・共産主義の理想と合致したものである」(党大会決議)として、第9条改正論を放棄した。

本来なら、これは従来方針の大転換だったが、党内からは、何の異論もなく受け入れられた。

背景には、当時の社会党が、小沢一郎氏らの新生党と連立政権を立ち上げ、
次には自民党と自社さ連立政権をつくったことがあった。

社会党は、この連立によって「日米安保体制容認」「自衛隊合憲」という立場になった。
共産党は社会党と入れ替わって、“護憲を一手に担う政党”へと変貌を遂げたわけである。
見事な豹変と言うべきなのか。

いまでも共産党は「戦後の憲法制定論議の際、日本の政党で主権在民を主張したのは、
共産党だけである」と自慢している。

だが、この「人民共和国憲法草案」は、すでに歴史的文書となっており、これを読んだ党員は皆無に近いだろう。
もちろん、「天皇制廃止」「皇族、華族制度の廃止」が大前提になっている。国会は一院制の提案となっており、
現在使えるような代物ではない。

この憲法草案、実は突っ込みどころが満載である。

例えば、「言論、出版、集合、結社の自由」「政党や大衆団体への物質的条件提供(=国家助成)」を
うたっているが、その前にすべて「民主主義的な」が付されている。

これでは、国家権力から「民主主義的」と認定されなければ、自由は保障されないということだ。
いまの社会主義国の憲法のようである。

■筆坂秀世(ふでさか・ひでよ) 1948年、兵庫県生まれ。高校卒業後、三和銀行に入行。
18歳で日本共産党に入党。25歳で銀行を退職し、専従活動家となる。
議員秘書を経て、1995年に参院議員に初当選。共産党のナンバー4の政策委員長を務める。
2003年に議員辞職し、05年に離党。評論・言論活動に入る。著書に『日本共産党と中韓』
(ワニブックスPLUS新書)、『野党という病い』(イースト新書)など。

URLリンク(www.zakzak.co.jp)


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