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2016.5.13 11:00
★韓国のウソ暴く衝撃スクープ写真、これが昭和28年の竹島だ…軍施設なし、義勇兵・英雄視の“神話”打ち砕く重大資料
韓国が不法占拠を続ける竹島(島根県隠岐の島町)をめぐり、同町が島内に建設を進めてきた
調査研究施設が、近くオープンする。その施設に、ある写真が重要な資料として展示される
ことになった。それは、産経新聞社が昭和28年12月に竹島を上空から撮影し、翌29年
元日付朝刊にスクープとして記事とともに掲載したものだ。現在、竹島には韓国が多くの施設を
建設しているが、この写真にはそうした構造物が全く写っていない。つまり、韓国による
「国家主権侵害」が本格化する以前、かつて隠岐の漁民が目にした竹島の「原風景」が写っており、
「戦後、守備隊が日本の侵略から島を守った」とする韓国のウソを暴く資料としても注目されそうだ。
■不当な李ラインに憤り、空から竹島取材
写真が撮影された28年当時はどんな時期だったのか。日本が第2次大戦に敗れたあと占領下で
サンフランシスコ平和条約に調印したのが26年9月。翌27年1月、韓国が日本海の公海上に
「李承晩ライン」を一方的に引き、竹島を自国内に取り込んだ。
日本は同年4月に主権を回復し、平和条約の発効で竹島が自国領と確定したが、韓国は竹島に近づく
日本の巡視船を銃撃した。そんな頃だった。
写真は29年1月1日の本紙紙面(10面)を飾った。「波高き李ラインを飛ぶ」との主見出し。
記事は「巡視船への銃撃、漁船の拿捕(だほ)、船員の抑留…暗い話題を生んだ李ライン水域には、
水産日本の深刻な課題が横たわっている、外交交渉による解決への期待をかけられた日韓会談も
その後再開をみぬまま、“暗い現実”を今年に持越して了(おわ)った」という書き出しで始まる。
URLリンク(www.sankei.com)
■韓国軍にバリバリッと撃たれるかも!?
記者の機上リポートである記事はこう続く。
「いままざまざと日本の非力を感じ機上で歯ぎしりをした、そのとき“竹島が見える”
と操縦席から声が飛んだ」
「『あった』ひと握りほどの海岸の砂浜は巡視艇“へくら”が去る十月四度目に立てた
『島根県穏地郡五箇村竹島』の標柱が、日本領土の標柱だ、三度韓国側に引抜かれたが
四度目の標柱はいま岩影に厳然と立っている、しかしこれもいつ引抜かれるかわからない」
さらに、その後発行された「週刊サンケイ」30年7月3日号では、「空翔けるニュース
合戦・近代報道戦の舞台裏」とのタイトルで、記者の座談会を掲載。その中で、竹島取材を
「他社を引き離したスクープだつた」とした上で、「竹島飛行は一応航空機を持つた新聞社は
狙っていたんだ、しかしアメリカ軍が許可しないだろうと推測したのと、また許可されても
バリバリッと撃たれやしないかとためらつていたんだ。韓国軍にね…」と振り返っていた。
■かつて久見の人たちが見ていた風景
この写真と報道について、竹島に関する調査研究や資料収集などを手がける隠岐の島町竹島
対策室の忌部正英主幹は「まだ韓国の施設が建設されていない頃の、竹島の航空写真は隠岐に
残っていない。かつて竹島周辺で漁業に携わっていた久見地区の人たちが、当時見ていたで
あろう島の風景だ」と評価する。
URLリンク(www.sankei.com)
(以下リンク先で読んでください)
産経新聞社が昭和28年12月に撮影した竹島。当時の紙面には「手前西島、後は東島=(本社双発ビーチクラフト機にて、高橋、疋田写真部員撮影=藤本航空部長、寺坂航空士操縦)」とある
URLリンク(www.sankei.com)
産経新聞社が昭和28年12月に撮影した竹島の別カット。現在ある韓国の工作物は見当たらない
URLリンク(www.sankei.com)
竹島の撮影に挑んだ様子を伝えた昭和29年1月1日の本紙記事。「波荒き李ラインを飛ぶ」の見出しが躍る
URLリンク(www.sankei.com)