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2016.4.11 08:00
★【国会議員に読ませたい敗戦秘話】安保改定を声高に求めていた社会党が変節したのはなぜか? 政治家よ、もっと歴史を学んでほしい
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
19世紀後半にドイツ統一を主導し、初代ドイツ帝国首相を務めたオットー・フォン・ビスマルクの
格言である。翻って日本の現状をみると、国家の舵取りを担うべき存在である国会議員の浅学非才は
目を覆うばかりだ。わけても近現代史に関する知識が決定的に欠けている。
戦後70年を迎えた2015年は、その無学さが顕著に現われた。安倍晋三首相が、集団的自衛権の
政府解釈変更に伴い、安全保障法制の整備に乗り出したからだ。クライマックスとなった9月18日夜。
参院本会議での安保法案の採決を前に、社会、共産両党のみならず、つい数年前に政権を担っていた
民主党までも徹底抗戦に出た。
参院特別委員会での採決では、鴻池祥肇委員長めがけてダイビング攻撃を仕掛けるなど肉弾戦を
繰り広げたあげく、「暴力的採決は無効だ。あんな採決が可決になったらわが国の民主主義は死ぬ」
(民主党・福山哲郎参院議員)と訴えた。
19日未明にもつれ込んだ本会議採決では、社民党の福島瑞穂副党首らが「戦争本案ハンターイ」と
気勢を上げ、「生活の党と山本太郎となかまたち」の山本太郎参院議員は一人牛歩戦術を試みた末、
議場に向かって「アメリカと経団連にコントロールされた政治家は辞めろ!」と叫んだ。
国会議事堂の外では、護憲団体などが「安倍政権はファシスト」「右翼内閣許さな~い」などと叫んでいたが、
議場内のやりとりも同レベルだったわけだ。「国権の最高機関」は真摯な議論を否定して低俗なスローガンを
繰り返す場なのか。「とても子供には見せられない」と思った人も多いはずだ。
安保法制をめぐる国会内外の馬鹿騒ぎを、1960年の日米安全保障条約改定をめぐる「安保闘争」と
重ねた人もいるだろう。ただ、55年前の騒ぎは現在とは比較にならぬほど大規模だった。
首相官邸や国会議事堂は連日デモ隊に埋め尽くされ、安倍首相の祖父である岸信介首相は条約承認と
引き替えに退陣を余儀なくされたが、安保闘争の経緯を追うと、闘争を主導した社会党の変節に驚く。
「八千万民族は、われわれ同胞は他民族の軍政下にあることを忘れてはなりません。
不平等条約の改正をやりことが日本外交に与えられた大きな使命なり…」
これは自民党議員の発言ではない。社会党の浅沼稲次郎書記長(後に委員長)が57年の衆院本会議の
代表質問に立った際の発言である。他の社会党幹部も異口同音に安保条約改定を声高に求めていたのである。
ところが、日米同盟が強化されることを危惧したソ連が、「日本の中立化」をキーワードに政界や
メディアへの工作を強化すると、社会党は「安保条約破棄」にあっさりと舵を切ってしまった。
足並みをそろえるように朝日新聞などは「米国の戦争に巻き込まれる」とキャンペーンを張り、
政府は一時、自衛隊の出動を検討するほどの騒擾になった。
民主党や一部メディアは安保法制で同じような騒ぎを作り出せば、安倍首相を退陣に追い込めると
踏んでいたようだが、国民の多くは冷静だった。SEALDs(シールズ)や護憲団体などが国会周辺で
デモを繰り広げたことを「革命前夜」のように報じたメディアもあったが、60年安保闘争に比べれば
微々たる勢力にすぎない。
やはり、中国が急速な軍事拡張を続け、東シナ海や南シナ海で横車を押すように海洋権益を拡大している
姿を目の当たりにし、日本人の安全保障への意識は大きく変わったのである。遡れば、02年9月に
小泉純一郎首相(当時)が訪朝し、北朝鮮の金正日総書記(同)が日本人の拉致を認め、謝罪したあたりから、
日本人は左翼勢力のプロパガンダに眉をひそめるようになったように思える。
>>2へ続く
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