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★ベルギー連続テロ 「無法地帯」を放置したベルギー政府の不手際
EU全土が厳戒態勢
2016年03月25日(金) 川口マーン惠美
■新たなテロでEU全土が厳戒態勢に
ISテロリストのサラ・アブデスラムが、3月18日にブリュッセルで生け捕りになった。
去年11月、130人もの犠牲者を出したパリの無差別テロの主犯の一人で、以来、
フランスとベルギーが総力をあげて探していた男だ。
捕獲のニュースが入った途端、ベルギーのミシェル首相は舞い上がり、EUサミットをそそくさと中座。
それを追いかけるようにしてやってきたオランド仏大統領とともに、捜査の経過を固唾をのんで見守った。
ところが、おそらくその報復だったのだろう、わずか4日後の22日、ブリュッセルの国際空港と、
EU本部にほど近い地下鉄の駅で無差別テロが発生した。
23日現在、死者は31名、負傷者は270名。ISとの戦いが「エンドレス」になり始めたようで、
ヨーロッパは混迷の様相を深めている。4人の犯人のうちの3人は自爆した模様だが、1人が逃走し、
現在、ベルギーとフランスだけでなく、EU全土が厳戒態勢を敷いている。
18日に捕まったサラ・アブデスラムは、ベルギー生まれのモロッコ系フランス人というからややこしい。
やはり襲撃に加わった兄のブラヒム・アブデスラムは、テロ当夜、現場で自爆しているし、もう一人の
主犯といわれるアブデルハミド・アバウドは逃走したものの、5日後の18日に、フランスの特殊部隊に
隠れ家を嗅ぎつけられ、大銃撃戦のあと死亡した。こちらもモロッコ系だが、国籍はベルギー。
ちなみに、ベルギーの首都圏にあるモレンベークという地区は、テロリストの温床として
一躍有名になったが、アブデスラム兄弟もアバウドも、皆、ここの出身だ。
アブデスラムは26歳。最初は地元のゴロツキに過ぎなかったようだが、何らかのきっかけで
どんどんイスラム過激派な活動にのめり込んでいく。不思議なのは、ここ数年はマークされて
いたはずなのに、テロ事件の直前まで、ヨーロッパをあちこち動き回っていたことだ。
去年10月には、南ドイツのウルムという町に数時間いたことがわかっている。
そのあと、そこの難民施設から3人の難民が消えた。アブデスラムがピックアップしたらしい。
消えた3人はシリア難民としてドイツに入っていたことがわかったが、あとの祭り。
本当の素性はいまだに不明だ。
テロリストが難民に混じってドイツに入る可能性は早くから指摘されていた。しかしドイツ政府は
当時、「テロリストがドイツに入るなら、難民に化けなくても他のルートがある」と主張した。
ただ実際問題としては、去年1年で120万人も難民が入ったし、あまりの数だったので登録も
正確にはなされなかった。
最近ドイツで検挙されたテロリストは、ドイツの7ヵ所の難民収容所で、7つの名前で登録を
していたことがわかっている。EUにかなりの数の危険分子が紛れ込んでいる可能性は高い。
■無法地帯を放置したベルギー政府の不手際
パリのテロでは、実行犯は8人、あるいは9人で、すでにうち7人は死亡している。
アブデスラムも実は自爆するつもりだったが、突然、気が変わったというのが本人の供述だ。
自爆をやめたアブデスラムは、テロ現場の近くで仲間に電話をして車で迎えに来させ、逃亡した。
その後、まもなく検問にあったものの、なぜかうまくすり抜けて、あっという間にベルギーに戻った。
あとで発見された自爆用のベルトは、彼が捨てたものだという。
その後11月22日、ブリュッセルに厳戒態勢が敷かれたことは、まだ記憶に新しい。アブデスラムが
ベルギーに潜伏していることは確実だったが、警察はすでに14日、彼の足取りを見失っていた。
結局、22日になってベルギー政府は、ブリュッセルに「深刻かつ切迫した」危険があると判断し、
学校も大学も休校にして、地下鉄まで止めた。EUの首都は、数日間ゴーストタウンになったが、
それでもアブデスラムは見つからなかった。
それから4ヵ月経った今、ブリュッセルは再び厳戒態勢で、公共の交通機関は乗車前に厳重な持ち物
検査が行われている。ベルギーには多くの日本企業もあるが、22日のブリュッセル便はすべて欠航した。
>>2へ続く
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