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★【視線】中国強弁の「南沙諸島」は日本の領土だった 終戦まで実効支配 論説委員・榊原智
2016.1.26 12:05
南シナ海のスプラトリー(南沙)諸島が、元は日本の領土だったことをご存じですか。
南シナ海問題をめぐる背景知識の一つとして紹介したいと思います。
中国は今、南沙諸島で、国際法(国連海洋法条約)に照らして領土にはできない
暗礁を勝手に埋め立てて「人工島」を造り、滑走路を造るなど軍事基地化を進め、
領土であると強弁しています。
南沙諸島の領有権を中国と争っているフィリピン、ベトナムといった沿岸国はもとより、
日本や米国など多くの国々が中国を批判しています。しかし、中国は今年1月に入って、
人工島の一つ、ファイアリークロス礁に造った滑走路で航空機を離着陸させました。
中国の傍若無人な振る舞いは、今年も国際社会を悩ませそうです。
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1952(昭和27)年4月発効のサンフランシスコ平和条約第2条のf項にこうあります。
「日本国は、新南群島及び西沙群島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」
ここでいう新南群島が南沙諸島を指すのです。
新南群島は、1918(大正7)年に海軍中佐の小倉卯之助という探検家が発見し、
島の一つに標柱を立てています。いわば南方領土の発見です。ちなみに小倉が探検に
使った帆船は、明治時代に千島探検で名を馳(は)せた元海軍大尉、郡司成忠の所有でした。
郡司は作家、幸田露伴の実兄です。
その後、ラサ島燐礦(りんこう)会社(現・ラサ工業)という日本の会社が、
大正期から1929(昭和4)年にかけて、新南群島で肥料の原料となる
リン資源グアノの採掘をしていました。最盛期には140人ほどの日本人が働いていました。
また、日本統治下にあった台湾の高雄を根拠とする漁業者が、マグロ漁の中継点にしたり、
貝の採取をしたりしていました。
ラサ島燐礦会社は、政府に領土編入を陳情しましたが、外務省がぼやぼやしていたのか
領有宣言をしていなかったのです。
すると1933(昭和8)年になって、インドシナ(今のベトナムなど)を支配していた
フランス(仏印当局)が、新南群島のうち9つの島の領有を宣言しました。
これに日本と中華民国が抗議しています。
大阪毎日、東京日日の両新聞社(現毎日新聞社)はこのとき、新南群島へ探検隊を派遣し、
日本の領土だと大々的に報じています。
結局、1939(昭和14)年に平沼騏一郎内閣が日本の領有を宣言し、台湾の高雄市に
組み込みました。日本の主張は正当であり、1945(昭和20)年の敗戦まで日本は
実効支配をしています。
日本の敗戦で再びフランスが占領しましたが、同国がベトナムから引き揚げたことに
伴って1950年代には空白の地となり、領有権争いの対象になったのです。
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中国(中華人民共和国)が今、領有権を主張しているのは、中華民国の立場を踏襲した
からなのですが、戦前に中華民国や清朝が南沙諸島を領有していた事実はありませんでした。
また、日本が、台湾の行政区画に属させたことから、南沙諸島は台湾のもの、
中国のものと主張することも成り立ちません。
日本は、台湾に付属する島々だから高雄市に編入したのではないからです。
台湾とは別に日本人が発見し、日本の会社が利用していたことから領土とし、
たまたま地理的に近い台湾・高雄市の行政区画に入れただけだったのです。
日本が領有権を主張することはもはやできませんが、南沙諸島は、
日本と無縁の島々ではないのです。
もし、日本の領土のままであれば、今、南シナ海で中国の横暴がまかり通るような
ことはなかったでしょう。(論説委員 榊原智)
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