【大阪】ジャパンマネーを夢見て来日するも現実は…フィリピン人親子の無理心中をきっかけに誕生したフィリピン人支援組織 [12/02]at NEWSPLUS
【大阪】ジャパンマネーを夢見て来日するも現実は…フィリピン人親子の無理心中をきっかけに誕生したフィリピン人支援組織 [12/02] - 暇つぶし2ch1:◆CHURa/Os2M@ちゅら猫φ ★
15/12/02 06:07:52.20
★【大阪の中のアジア】ジャパンマネーを夢見て来日するも現実は…フィリピン人親子の無理心中をきっかけに誕生した自助組織
2015.11.29 09:00

日曜日の教室に哀愁を帯びたメロディーが流れている。曲名は、タガログ語で子供を意味する
「ANAK(アナク)」。フィリピンで作曲され、70年代に日本でもカバー曲が大ヒットした「息子よ」だ。

大阪市中央区の市立南小学校で11月上旬に開かれた日本人とフィリピン人の交流会。
同小学校は、児童約200人のうち約2割がフィリピン国籍の親を持つといい、
言葉の壁などで悩む児童もいる。そんなフィリピン人たちを支援するのが自助組織
「サウスイーストアジアコミュニティ協会」だ。

発起人の一人でフィリピン人の平松マリアさん(45)は「中央区にはフィリピン国籍者が
約500人暮らしていますが、仕事が夜間だったり、日本語が不自由だったりして地域住民
との交流は希薄になりがち。孤立するケースもあり、助け合う仕組みが必要だった」と語る。



マリアさんには忘れられない事件がある。平成24年、大阪・ミナミでフィリピン人の母親
(当時29歳)が長男(同6歳)と長女(同4歳)を道連れにした無理心中だった。

マリアさんは、事件前にこの女性から「日本の生活がしんどい」と相談を受けていた。
外国籍の住民を支援する「NPO法人チャーム」(大阪市北区)に所属するマリアさんは、
大阪市内の託児所で開いた相談会で彼女と出会い、電話番号を伝えていた。

「結局、連絡はありませんでした。夜の仕事をしながら小さな子供を育て、祖国の親元にも
仕送りしないといけないと頑張っていた。心身とも疲れたのかもしれません」



訪日フィリピン人が増え始めたのは、バブル景気にわく昭和60年代以降。「興行」という
在留資格を取得し、フィリピンパブなどで働くダンサーらが入国。多いときで年間約8万人の
フィリピン人が興行ビザで来日していた。

マリアさんも平成元(1989)年にダンサーとして日本へ来た。

「帰ってきた人たちが次々と立派な家を建てるのを見て、日本への憧れと夢を膨らませました」。
だが現実は6畳の部屋に4人で住まわされ、1カ月の給料は搾取されて300ドル(当時約4万円)だった。

その後、日本人男性と結婚し2人の子供に恵まれたが、夫の暴力が原因で離婚した。
「自分の経験を生かしたい」と、日本語の勉強会などを主宰するかたわら
、「サウスイーストアジアコミュニティ協会」のスタッフとしても奔走している。 

「本当につらい思いをしている人はなかなかコミュニティーに出てこない。自分一人で悩みを
抱え込まないでほしい」とマリアさん。そんな思いが仲間たちを勇気づけている。(上岡由美)

URLリンク(www.sankei.com)


レスを読む
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch