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★イスラム過激派が500人!テロ厳戒下のベルギーはいま、無法地帯になっている
「黒いハンドバッグ」に脅える市民たち
2015年11月27日(金) 川口マーン惠美
■政治的混乱が常態の「EUの首都」
ベルギーの首都ブリュッセルで、テロ警戒レベルが最高に引き上げられ、厳戒態勢に入ったのは21日だが、
まだ解除されない。少なくとも30日まで続くそうだ。
ベルギーというのは昔からへんてこな国だった。首都のブリュッセルは、紛れもなく美しく豊かな街で、
美味しいビールと極上のチョコレートでも有名だ。もちろん、2万5000人の職員を擁する欧州委員会の
総局があるので、「EUの首都」ともいえる。
しかし一方で、ブリュッセル市の人口が100万人強なのに19もの自治体に分かれていて、19人の長がいて、
6つの警察本部がある。公用語はフラマン語、フランス語、そしてドイツ語。政治は混乱しており、
すでにそれが常態のようだ。大昔、落合信彦氏がベルギーのことを「白いインド」と呼んだが、言い得て妙だった。
2010年の総選挙の後はなかなか組閣ができず、ようやく新内閣が成立した時には、選挙から535日が経っていた。
つまり、1年半のあいだ正式な政府がなかったのだが、とくに支障もなかった。とはいえ、535日の空白というのは、
おそらく世界新記録だろう。現在の内閣は4党連立で、14年6月の選挙後、わずか(!)4ヵ月で誕生した。
ベルギーにはイスラム系の移民が多い。ブリュッセルでは、その数は、すでに住人の半数を超えており、
近年では、新生児の名前で一番多いのがムハンマド君だという。
アラブ系だけでなく、アフリカ系の移民も多い。コンゴ、ルワンダ、ブルンジなど、ベルギーがかつてアフリカに
植民地を持っていたためだ。
ベルギーの植民地政策は、多くの国がまだ植民地を持っていた20世紀の初頭でさえ、あまりに残忍であるとして
国際的な非難を呼んだという。コンゴでは、過酷な搾取によって人口が5分の3に減ってしまったそうだ。
ベルギーの植民地であった国は、独立した後もそろって貧困から立ち直れず、そればかりか、内戦や虐殺など
悲惨な状況が続いた。それは、独立に際しての宗主国の無責任な対応の結果によるところが多いと言われている。
■いつのまにか「イスラム過激派の首都」に
現在、ベルギーが抱える一番の問題は、首都ブリュッセルの一部が無法地帯と化してしまっていることだろう。
住民のほとんどが移民で、一番多いのはモロッコ系。失業率は30%と、かなり絶望的な場所だ。
この中に、イスラムの過激派が紛れ込んだ。あるいは、ここで生まれ育った。社会から締め出されてしまったような
疎外感と失望が、ここの若者を過激な思想に走らせたのかもしれない。
そのうえ、この地区のモスクでは、すでに30年も前からキリスト教徒に対する憎悪を植え付ける教えが熱心に
広められていたという。資金はサウジアラビアの過激イスラム宗派ワッハーブから出ていた。
しかし、19人の自治体の長は、誰もここが自分の管轄だとは思っていなかった。警察もあまり近寄らないというから、
テロリストにとってはまさに天国だ。
当然、過激派はどんどん増えた。武器や弾丸も運び込まれた。ロシアからチェチェンのイスラム過激派もやってきた。
ブリュッセルがいつしかヨーロッパにおける「イスラム過激派の首都」のようになってしまったのは、決して偶然ではなかった。
今、ベルギーには、シリアで戦闘に加わった経験のあるイスラム過激派が500人もいるという。
彼らはベルギー国籍を持っているので、戦死しなければ皆、戻ってくる。
1月にパリで起こったシャルリ・エブドのテロのときも、準備がここでなされていたことは、その後の調べでわかっていた。
今回のテロでも、犯人はベルギーで堂々とレンタカーを借りて、パリに出陣している。
だから、今、なぜそのような状態が放置されていたのかということが、厳しく問われているのだ。
ベルギーの秘密警察は、アラビア語の通訳さえ十分に雇っていなかったといわれるから、
それほど効果的なテロ対策は取られていなかったと思われる。
>>2へ続く
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