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- 暇つぶし2ch1:◆CHURa/Os2M@ちゅら猫φ ★
15/11/26 14:44:43.29
★新聞は一切書かない東住吉放火冤罪「釈放男」が女児に許されざる暴行

20年ぶりの釈放が叶った2人が姿を現すと、大メディアは沸きに沸いた。
冤罪の恐怖をこぞって報じつつ、歓喜を共有しようと躍起になったのだ。
が、背後に横たわる「事実」を報じたものは皆無。
それは、まもなく正式に自由の身となるであろう2人の関係に、重い影を落としていた。

***

和歌山刑務所から青木恵子元被告(51)、そして大分刑務所から朴龍晧(ぼくたつひろ)
元被告(49)が釈放されたのは、10月26日の午後だった。

事件は、1995年7月に遡る。大阪市東住吉区の自宅で、青木元被告の長女(当時11=小6)
が入浴していたところ、車庫で漏れたガソリンが風呂釜の種火に引火し、火災が発生。

「焼死した長女には、青木さんを受取人とする1500万円の死亡保険金が掛けられており、
“保険金目当ての放火殺人”を疑われた彼女は、内縁関係にあった朴さんともども逮捕
されてしまいます」(全国紙デスク)

裁判では揃って無罪を主張したものの、06年に最高裁で無期懲役が確定。服役中だった09年、
ともに再審請求し、12年3月には大阪地裁が再審開始を決定した。

それから3年半―。大阪高裁は10月23日に地裁決定を支持し、検察側の即時抗告を棄却。
刑の執行停止も決定した。続いて大阪高検が最高裁への特別抗告を断念したことで、
再審公判では無罪が言い渡される見通しとなったのである。

「釈放後、青木さんは逮捕当時8歳だった長男と再会し、亡くなった長女の墓参にも赴いた。
朴さんも実母と抱き合って喜んでいました」(同)

婚姻関係にないとはいえ、筆舌に尽くし難い辛苦を分かち合った当人同士が、
まずは対面を果たすのが通常であろう。にもかかわらず、それはいまだ実現していないという。

刑の執行停止に伴い、両元被告は居住地を指定され、「海外渡航」「逃げ隠れ」
「証拠隠滅行為」を禁ずるという条件が付けられたのだが、

「それは決して2人の対面を妨げるものではなく、両者の弁護士が同席すればクリアできること。
実は、青木さんは取り調べ段階で知らされた、ある“事実”がずっと引っかかっており、
朴さんに会おうという気持ちになれないままなのです」

とは、両元被告の事情に詳しい関係者である。

その“事実”は、朴元被告のしたためた書簡に記されていた。06年1月、彼は支援者らに宛て、
拘置所から一通の手紙を投函している。そこでは、自らの無罪を主張しつつ、こう綴っていたのだ。

〈十年以上経っても、火事から子供を救助できずに死なせてしまった重い自責の念と
性的虐待をした重い自責の念とが心に取り憑いていて、心が裂ける程激しく締め付けられます〉

〈平成七年九月十日、軟弱で臆病な僕は、その二重の自責の念に押し潰されて逃げてしまい、
「心の自殺」=「虚偽の自白」の落し穴に嵌ったのです。全く愚かにも刑事の「否認したら
死刑になる」の言葉を真に受けて信じ込み、それが怖くて堪らなかったのです。
その結果、彼女(注・青木元被告)を不幸のドン底に落としてしまいました〉

焼死した女児への許されざる行為が心の呵責となり、偽りの自白へと導いていったという
理屈で、女児については、

〈本当に助けたかった(中略)熱くて中に飛び込めなかった自分が恨めしい。
この命をあげてでも子供を生き返らせたい〉

そう悔恨を綴っている。

■「朴さんを許せない」

一方の青木元被告も服役中の11年夏、刑務所の所在地である和歌山の支援団体に宛て、

〈お風呂場の中に入り、娘を連れ出していれば、娘は助かっていたかもしれません〉

そんな自責の念を手紙で打ち明けながら、逮捕前後の状況を詳述している。

〈(95年)9月10日の早朝、刑事達が来て、「話を聞きたいので用意して……」と言われたので、
私は、「火災の原因が判ったんだ」と思いましたが、マンションの玄関を出ると、当時8歳だった
息子とも離されて、朴さん、私、息子は別々の車に乗せられました〉

〈取調室に入り、いきなり「やったんやろ」と言われて、私は「やってません」と言いましたが、
刑事は全く聞く耳を持っていませんでした〉

 >>2へ続く

週刊新潮2015年11月26日雪待月増大号 掲載
URLリンク(www.dailyshincho.jp)



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