【浜松】「日本でも、母国でも活躍する人材を育てる。いつか、大統領を輩出したい」 南米系外国人学校の校長がステファニ・レナト賞受賞 [10/27]at NEWSPLUS
【浜松】「日本でも、母国でも活躍する人材を育てる。いつか、大統領を輩出したい」 南米系外国人学校の校長がステファニ・レナト賞受賞 [10/27] - 暇つぶし2ch1:◆CHURa/Os2M@ちゅら猫φ ★
15/10/27 07:57:20.60
★外国人学校 守り抜く レナト賞の松本校長
2015年10月25日

◆浜松 資金難、廃校危機越え

浜松市西区の南米系外国人学校「ムンド・デ・アレグリア」の松本雅美校長が二十四日、
社会的弱者への支援を続ける人に贈られる「ステファニ・レナト賞」(事務局・名古屋NGOセンター)を受賞した。
二〇〇三年二月に開校。強固な意志と周囲の支えで、廃校の危機を乗り越えてきた。
「職員全員の取り組みが評価された。賞に恥じない学校を目指したい」と話す。

大学でスペイン語を学んだ経歴を買われ、二十代後半から、スズキの人事部で日系人の採用を担当。
一九九〇年の在留資格緩和で、出稼ぎに訪れた多くの日系人と出会った。出産後に退職し、
横浜市に住んでいた〇二年秋、ペルー領事館が浜松で開いた教育フォーラムに参加した。
帰国した子どもが授業に付いていけず、留年が後を絶たない現状に衝撃を受けた。

終了後、小中学生の子を持つペルー人から「学校をつくってほしい」と涙ながらに頼まれた。
「日本の国策で来日したのに、多くの子どもたちが置き去りにされていた。どうしても、素通りできなかった」

不動産会社を回り、古い空き事務所を確保した。だが、入学説明会には五十家族が訪れたものの、
開校時の児童・生徒は十三人だけだった。設立を頼んだ保護者の子は一人もおらず、
「日本人とはまったく違う気質。文化の違いを痛烈に思い知らされた」と笑う。

人件費節約のため、開校当初は自身も教壇に立ち、給食の配膳や子どもたちの送り迎えもした。
保険を担保に借金し、空いた時間に通訳や翻訳のアルバイトに励んだ。毎朝、息子二人の弁当を
作って新横浜駅から新幹線に乗り、車内で眠りに落ちる日々が二年以上続いた。
それでも、「学校をつくってくれてありがとう」という教え子の声が疲れを吹き飛ばしてくれた。

〇五年三月、複数の地元企業から年額二千万円程度の寄付が始まった。
だが、〇八年秋にリーマン・ショックが起きると、資金援助は減り、親たちが職を失って退学者が続出。
追い打ちを掛けるように、サラリーマンの夫が心臓を患って急死した。いつも「君を誇りに思う」と励ましてくれたのに。

「夫が亡くなって一年ほど記憶がない。でも、これだけ周囲の人を巻き込んだのに、逃げ出すわけにはいかなかった」。
月謝を一部免除し、保護者の就労支援に奔走。信頼を勝ち取り、退学の波を押しとどめた。

現在、通学者は二百人を超え、日本の大学に進学する卒業生も現れた。
「日本でも、母国でも活躍する人材を育てる。いつか、大統領を輩出したい」。
賞金の三十万円はもちろん、奨学金に充てるつもりだ。

(西田直晃)

<ムンド・デ・アレグリア> 校名はスペイン語で「喜びの世界」の意味。現在、ペルーやブラジル国籍の4~18歳、
220人が通っている。母国語の学習に加え、日本語の習得にも多くの時間を割くのが特徴。
資金援助する民間企業が税制上の優遇措置を受けられるようにするため、特定公益増進法人の認可を目指している。

<ステファニ・レナト賞> 1964年に来日し、外国人労働者の救済に尽力したイタリア人神父ステファニ・レナト氏にちなんだ賞。
レナト氏は2003年に東ティモールで交通事故死。レナト氏が初代理事長を務めた、中部地方の非政府組織(NGO)でつくる
名古屋NGOセンター(名古屋市中区)が遺志を継ぎ、04年に賞を創設した。

URLリンク(www.chunichi.co.jp)
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