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★慰安婦問題 なぜ冷戦後に火が付いたのか - 木村幹(神戸大学教授)
文藝春秋SPECIAL 2015秋2015年09月09日 07:00
日韓最大の懸案を解決するには、1990年代以降の両国関係の変質を理解しなければならない
従軍慰安婦問題が日韓関係における「のどに刺さった骨」になって久しい。
とりわけ朴槿恵政権成立以後の韓国政府はこの問題を重要視し、この問題の進展なしに、
首脳会談を開催する事すら難しくなっている。
とはいえ、その事はこの問題が一貫して日韓関係において重要な問題としての位置を
占めてきた事を意味しない。一部ではよく知られているように、日韓両国間において
この問題が大きな問題として取り上げられるようになったのは、1990年代、とりわけ
1991年8月14日に、金学順が「韓国国内に居住する元慰安婦」として最初にカミング
アウトを果たして以後の事である。
それでは、何故に従軍慰安婦問題は90年代になって突如として脚光を浴びる事に
なったのだろうか。そしてその背景には何があったのか。
この点を考える上で、最初に押さえておかなければならない事は、元慰安婦の存在そのものが、
嘗ての韓国において知られていなかった訳ではない、という事である。事実、当時の韓国の新聞や
小説、さらには映画等においては、慰安婦と思しき女性たちが登場する事は希ではなかった。
とはいえ、その事はこの頃までの韓国人が慰安婦問題に大きな関心を持っていた事を意味して
いなかった。なぜなら当時の彼らが書いた慰安婦に関わるものは、ほぼ例外なく第二次世界大戦に
纏わる何らかの事実を描写する際の一つの「背景」として、これに触れたものに過ぎなかったからである。
このような韓国の慰安婦を巡る状況が変化した直接的なきっかけは、既に述べたように、
元慰安婦等のカミングアウトであった。それが大きな影響を及ぼした第一の理由は、
これにより人々がそれまで抽象的にしか知られていなかった元慰安婦達の境遇を具体的に
知ったからである。当時カミングアウトを果たした元慰安婦達は、ほぼ例外なく、
その時点で経済的に困難な状況に置かれており、半世紀近くを経ていまだに苦しみ続ける
彼女等の姿は、当時の韓国の人々の深い同情を得た。
第二に、これにより実際の訴訟が開始された事である。訴訟の被告となった日本政府もまた、
この問題に対する公式見解を明らかにする事を余儀なくされ、日韓両国の間では日本政府の
見解の妥当性を巡って激しい議論が戦わされる事になった。
そして第三に、これを契機に、支援組織が急速に整備されていった事である。
例えば、90年に結成された「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」は、当初はこの問題に
関心を持つ女性運動団体の緩やかな連合体に過ぎなかったが、1990年代半ば頃には、
この問題に対して絶大な影響力を得るまでに成長する。基盤になったのは先立つ1980年代に
展開された民主化運動の中での韓国の市民運動団体、取り分け女性運動団体の成長だった。
こうして「元慰安婦の存在を全面に押し出した支援団体が、日本政府に対して、
裁判や街頭活動の場で積極的に圧力をかける」という、今日ではお馴染みの図式が成立する事になる。
■日本政府の稚拙な対処
とはいえ、元慰安婦のカミングアウトと同時に、突然、現在と全く同じ状況が作り上げられたのか、
と言えばそれもそうではなかった。何故なら、一九九一年に金学順がカミングアウトした時点での
韓国政府は、現在とは異なり、日韓両国に横たわる1945年以前の過去の出来事に関わる「請求権」
―つまり植民地支配下における賠償等を含む金銭的なやりとりに関わる問題―は、1965年に締結
された日韓基本条約及びその付属協定にて「完全かつ最終的に解決済み」、という立場を取って
いたからである。言うまでもなく、この立場は1965年以降今日まで、日本政府が取っている立場と
同じであるから、この当時の日韓両国政府は、少なくとも法的な賠償に関しては、慰安婦問題に
対して同じ立場を取っていたことになる。
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