15/08/22 14:21:05.85
★【戦後70年 沖縄戦の真実】現代の価値観では理解されない特攻隊員の“純真”愛国心
2015.08.21
沖縄戦では、厳しい戦局を打開し、沖縄を守るために、多くの若者たちが航空特攻に
志願して若き命をささげた。現代の価値観では理解されないだろうが、彼らの思いを紹介したい。
昭和20(1945)年3月26日、台湾を目指して沖縄に飛来した広森達郎陸軍中尉率いる
「武剋隊」に、航空参謀の神(じん)直道中佐が、沖合の敵米艦隊への特攻攻撃を打診した。
広森中尉は即答でこれに応じ、8人の部下に静かにこう言った。
「いよいよ明朝は出撃だ。いつものように俺についてこい。次のことだけはお互いに約束しよう。
今度生まれ変わったら、それが蛆虫(うじむし)であろうと、国を愛する誠心だけは失わないようにしよう」
部下たちは「ハイ」と答えた。
軍事評論家の伊藤正徳氏は著書『帝国陸軍の最後4』(角川文庫)に、このように書き記している。
広森中尉らは翌27日、指示された発進時刻と寸秒の狂いもなく飛び立ち、翼を振って別れを
告げたのち、西方海上に直角旋回して敵の艦船群に突っ込んでいった。大型艦5隻を撃沈、
同5隻を撃破したとされる。広森中尉は三重県出身、享年23。戦死後、少佐に特進した。
沖縄県出身の「軍神」、陸軍特別攻撃隊誠第17飛行隊長、
伊舎堂用久(いしゃどう・ようきゅう)大尉についても紹介したい。
伊舎堂大尉は、郷里・石垣島で出撃の日を待っていた。家族が面会にきても、
「家族と離れて本土からやって来ている部下たちは家族に会えない。
自分だけが会うことなどできぬ」として面会を拒み続けた。
同20(45)年3月26日早朝、伊舎堂大尉は部下の3機とともに、慶良間(けらま)諸島に
押し寄せた米艦艇に特攻攻撃をかけるべく、白保飛行場を飛び立った。伊舎堂隊は敵艦隊めがけて
猛然と攻撃を開始し、敵空母および戦艦を撃破した。享年24、戦死後、中佐に特進した。
平成25(2013)年8月15日、石垣島の新港地区で、
石垣島から出撃した特攻隊員31人の顕彰碑が除幕された。
式典では、伊舎堂隊が宿舎にしていた民家の娘さんが「伊舎堂隊の歌」を歌う一幕があった。
歌詞の3番は、式典参列者の涙を誘った。
「母さんの写真にひざまずき お先にあの世と参ります 国のおんため お母さん
花と散ります ああお母さん」
内地の若者も、沖縄の若者も、郷土や家族、そして祖国・日本を守るために至純の
愛国心をもって散華したのである。沖縄は決して「捨て石」などではなかった。
■井上和彦(いのうえ・かずひこ) 軍事ジャーナリスト。1963年、滋賀県生まれ。
法政大学卒。軍事・安全保障・外交問題などをテーマに、テレビ番組のキャスターや
コメンテーターを務める。航空自衛隊幹部学校講師、東北大学大学院・非常勤講師。
著書に『日本が戦ってくれて感謝しています-アジアが賞賛する日本とあの戦争』
(産経新聞出版)、『撃墜王は生きている!』(小学館)、『ありがとう日本軍』(PHP研究所)など。
URLリンク(www.zakzak.co.jp)
関連スレ
【戦後70年 沖縄戦の真実】軍民合わせて20万人が戦禍に倒れた 先人の尊い犠牲を断じて貶めてはならない [08/22]
スレリンク(newsplus板)
【戦後70年 沖縄戦の真実】米軍への憎しみ根付かせた虐殺 指揮官殺された報復で民間人に銃口 [08/20]
スレリンク(newsplus板)
【戦後70年 沖縄戦の真実】米軍も震え上がった日本軍の強靭さ 16日間の攻防戦 [08/20]
スレリンク(newsplus板)
【戦後70年 沖縄戦の真実】「沖縄が捨て石となった」は不適切 県民を救わんがために散った命がある [08/18]
スレリンク(newsplus板)