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★(語り継ぐ戦争)あの犠牲、忘れない
2015年8月21日09時29分
■ガタルカナル島でほぼ壊滅
第2次大戦で戦死した兵士や過酷な労働の末に死亡した人たちを追悼する行事が20日、道内各地であった。
参列者らは改めて戦争の悲惨さをかみしめ、亡くなった人々をしのんだ。
■「一木支隊」の慰霊祭 ガダルカナル島でほぼ壊滅
太平洋戦争中、日米両軍が激突したガダルカナル島(ソロモン諸島)の戦いで多数の兵士が亡くなった
「一木支隊」の慰霊祭が、旭川市の北海道護国神社で開かれた。
ガダルカナル島の戦いは1942年8月から約半年間にわたり、日本軍3万人超のうち約2万2千人が死亡した。
一木清直大佐が率いた一木支隊は旭川市の陸軍第7師団から派遣され、この戦いでほぼ壊滅した。
慰霊祭には一木支隊に所属していた鈴木貞雄さん(97)と藤吉貢(みつぐ)さん(96)=いずれも旭川市=のほか、
一木大佐の長女、安藤淑子さん(86)=東京都世田谷区=ら約20人が参加。本殿や慰霊碑の前で玉串を捧げるなどした。
慰霊祭にはかつて多くの人が参加していたが、主催していた戦友と遺族らでつくる「一木会」が20年前に解散して以降、
年々参加者が減っているという。安藤さんは「いつ来られなくなるかわからないので、思い切って来ました。
『すぐ帰ってくるから心配しなくていいよ』と戦いに行く前に話していた父の姿が忘れられません」と話した。
■弱った仲間から食料奪う兵士も/衰弱した将校、拳銃自決
ガダルカナルから生還した鈴木さんと藤吉さんは、当時の壮絶な経験を打ち明けた。
日本軍は米軍とオーストラリア軍を分断しようと島に飛行場を建設したが、直後に上陸した米軍に奪われた。
奪回のために派遣されたのが一木支隊だった。先遣隊として最初に上陸した「第1梯(てい)団」約900人はほぼ全滅。
鈴木さんと藤吉さんは後続の「第2梯団」で戦った。
2人が口をそろえたのが、飢餓の悲惨さだ。鈴木さんによると、弱った仲間から食料を奪う兵士がいた。
近くに敵がいないのに、手投げ弾が陣地に投げ込まれたこともあった。「食料を奪うために味方が起こした騒ぎだと思っている」
と鈴木さんは話す。藤吉さんも1週間ほど絶食状態で行軍した。「川を3度渡ったが、こけが生えている程度で何も食べられる
ものはなかった」。衰弱して歩けなくなった将校は、拳銃で自決したという。
生還後は島での経験を話すことが禁じられ、鈴木さんの周辺では憲兵が「監視」していたという。
鈴木さんは「はってでも慰霊祭に来なければ亡くなった戦友に申し訳ない」、藤吉さんも「島での戦いは決して忘れない。
英霊たちに安らかに眠ってほしい」とそれぞれ話した。
(関根和弘)
>>2へ続く
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