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★自衛官の退官後は冷酷 厳しい再就職、収入は二の次
2015.08.19
自衛隊のいろいろな部隊には大体、その部隊を知り尽くしたベテランがいる。
その「親父」的な人が定年退官して、思いがけない所で声をかけられることがあるが、
再会がうれしい半面、寂しさも感じてしまう。
「○○でお会いしましたね」
スーツや普段着を着た目の前の男性からは、にわかに思い出せないことも多い。
だが、よく見ると、ついこの前まで救難機に乗り組んで危険な現場での救助活動を
行っていた人であったり、災害派遣の現場で泥まみれになって汗を流していた人
だったりする。若い自衛官を叱咤激励していたときとは別人のようだ。
退官後の職業を聞いてみると、まことにもったいないと感じるケースが多い。
警備員、高速道路の料金所、運送業、荷物の仕分け、ホテルの送迎バスドライバー…。
もちろん、仕事に優劣などない。どんなものであれ、人のために働くことは尊いことだが、
およそ、自衛官時代に築いた実績や人物としての価値が生かされているとは言い難いものばかりだ。
それでも、再就職先がスムーズに決まるだけでも良しとされている。
実際、自衛官の退官後の進路を確保するのは非常に厳しいのだ。
一方で、自衛官が企業などに再就職することが「天下り」などと表現される風潮もある。
では、一体どうしたらいいというのか。
わが国は、現役自衛官に対する名誉と誇りについて無頓着であるだけでなく、
殉職時に与えられる「賞じゅつ金」も一部地方公務員に及ばない実情を前回述べた。
だが、退官後の行く末に至ってはさらに冷酷だ。
国税で育成した、いわば国有財産でもある自衛官の「その後」はほとんど民間任せである。
地方自治体の防災担当などに収まればいいが、誰もがなれるわけではない。
「職にありつけばいいという感覚です。収入は二の次です…」
定年は50代半ば、子供の進学などを抱える人も多く、年収ほぼ半減という現実は極めて深刻だ。
そうしたなか、昨年、長い間自粛されていた建設業界への再就職が緩和されたのは朗報だった。
2006年の旧防衛施設庁の入札談合事件を受け、関係した約60社への就職ができない
状態が続いていたのだ。深刻な人手不足で外国人労働者の必要性も言われているが、
自衛官のマンパワーが生かされて然るべきだろう。
本来、退官後の進路も国が仕組みを作るべきではないだろうか。制服を脱いだ自衛官が終生、
輝きを失わないためにも。
■桜林美佐(さくらばやし・みさ) 1970年、東京都生まれ。日本大学芸術学部卒。
フリーアナウンサー、ディレクターとしてテレビ番組を制作後、ジャーナリストに。
防衛・安全保障問題を取材・執筆。著書に「日本に自衛隊がいてよかった」(産経新聞出版)、
「武器輸出だけでは防衛産業は守れない」(並木書房)など。
URLリンク(www.zakzak.co.jp)