【戦後70年 沖縄戦の真実】「沖縄が捨て石となった」は不適切 県民を救わんがために散った命がある [08/18]at NEWSPLUS
【戦後70年 沖縄戦の真実】「沖縄が捨て石となった」は不適切 県民を救わんがために散った命がある [08/18] - 暇つぶし2ch1:◆CHURa/Os2M@ちゅら猫φ ★
15/08/18 15:06:50.64
★【戦後70年 沖縄戦の真実】「沖縄が捨て石となった」は不適切 県民を救わんがために散った命がある
2015.08.18

海軍沖縄方面根拠地隊司令官の大田実少将(戦死後、中将に特進)は昭和20(1945)年6月6日、
沖縄戦における沖縄県民の献身的な協力と、筆舌に尽くしがたい苦労を報告し、「後世県民ニ対シ特別ノ
御高配賜ランコトヲ」との一文を、海軍次官当ての電文の最後に添えた。

1週間後の13日、大田少将は幕僚らとともに、豊見城(とみぐすく)岳陵に構築された海軍司令部壕内で
自決を遂げたのである。享年54だった。

戦後整備された壕の入口から長い階段を下りてゆくと、兵員約4000人を収容できる迷路のような全長
約450メートルの地下司令部がある。現在は約300メートルだけが一般公開されており、大田少将の
司令官室をはじめ、作戦室、幕僚室、暗号室、医療室などが見学できる。

幕僚室の壁には、幕僚が手榴(しゅりゅう)弾で自決した際に無数の破片によってえぐられた生々しい痕がある。
大田少将が自決を遂げた司令官室の壁には、必勝の信念を記した「神州不滅」「醜米覆滅」の大きな文字とともに、
墨で書かれた文字が鮮明に遺っていた。

「大君の御はたのもとにししてこそ 人と生まれし甲斐でありけり」

大田少将の辞世の句であった。

昭和28(53)年、かつての部下によって大田少将の遺体が発見された。
このとき、壕内で多数の将兵の遺体も収容されている。後の遺骨収集でも、さらに約1500人もの遺体が見つかっている。

大東亜戦争末期、沖縄の窮状を打開せんと発令された「菊水作戦」では、日本海軍の象徴たる戦艦「大和」をはじめ、
陸海軍合わせて1800余機の航空特攻が繰り出された。従って、戦後言われるような「沖縄が捨て石となった」という表現は
不適切であろう。

戦艦「大和」とともに沈んだ乗員は約2700人、菊水作戦の陸海軍航空特攻で散華した将兵は約3000人にのぼる。
彼らは至純の愛国心に燃えて、沖縄を救わんがために出撃し、その尊い命をささげたことを忘れてはならない。

旧海軍司令部壕内かある慰霊地区には、「仁愛之碑」なるものが建立されている。
これは、冒頭の大田少将の全電文を刻んだ石碑だ。いずれにせよ、この電文を「仁愛」として捉える感情は極めて正常であり、
戦後、沖縄に蔓延する日本軍への一方的な憎悪とは一線を画している。

もう一言付け加えておけば、極めて偏狭で歪な言論空間に支配されながらも、この旧海軍司令部壕では、
旭日旗がへんぽんと翻っていた。沖縄の中にぽっかり空いた良識ある空間のように思えてならない。

■井上和彦(いのうえ・かずひこ) 軍事ジャーナリスト。1963年、滋賀県生まれ。法政大学卒。
軍事・安全保障・外交問題などをテーマに、テレビ番組のキャスターやコメンテーターを務める。
航空自衛隊幹部学校講師、東北大学大学院・非常勤講師。著書に『日本が戦ってくれて感謝しています
-アジアが賞賛する日本とあの戦争』(産経新聞出版)、『撃墜王は生きている!』(小学館)、
『ありがとう日本軍』(PHP研究所)など。

URLリンク(www.zakzak.co.jp)

大田実少将
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