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★竹田恒泰×渡辺 徹「明治天皇の玄孫の戦後70年談話」
PRESIDENT 2015年8月17日号 野田 数=構成 奥谷 仁=撮影
■自分だったらどう決断するか
─2015年は戦後70年の節目であり、明治維新からは倍の約140年である。
日本の近代化を成し遂げた明治天皇の玄孫(孫の孫)である2人の初対談が実現した。
歴史には、従来の左右の思想の枠にとらわれない、ワクワクドキドキ知的興奮を
覚える学び方があるという。
【渡辺徹】テレビに講演に引っ張りダコの(竹田)恒泰は、小さい頃から
歴史を含めよく勉強し、ずば抜けて頭が良かった。一方、私たち11人の従兄弟は、
恒泰以外はラグビーをやっていた私を含めてほとんどが体育系。
恒泰の父(竹田恆和・日本オリンピック協会会長)は馬術の五輪選手だった。
【竹田恒泰】それなのに、私はスポーツが全くダメ。うちの親族と付き合いのある
人からは、あなただけちょっと異色ですねって言われます。徹のお母様(明治天皇
第六皇女の次女・紀子女王、1947年皇籍離脱)は皇族として生まれ育ち、
躾も厳しかったのではないですか。
【渡辺】私自身は渡辺家の長男として生まれ育ったし、特別に厳しいとは思わなかった。
それよりも周囲から「やんごとなきお方」とか、「世が世なら」とか、言われることが
あって、何で渡辺徹個人として見てくれないのかと、子供心に思ったことはあります。
【竹田】私も竹田家に生まれたとはいえ戦後は民間人ですから、
祖父(竹田宮恒徳王)が、作法に厳しかったぐらいであまり意識したことはありません。
ただ、学校の歴史の授業は、少し特別だったかもしれません。
【渡辺】それは私も同じです。教科書の天皇の肖像画を見て、母に、これは誰ですかと
聞いたときに、この人はおじいちゃまのずっと昔のおじいちゃまよと言われた。
そして、おじいちゃまたちはみんな天皇と呼ばれていて、ずっと国を守ってきた
人たちなのよと。それが強烈に頭に残り、中高校生になって歴史を学んでいくと、
とにかく天皇がいっぱい出てくるわけです。
【竹田】歴史の授業が自分の先祖だらけ(笑)。自分がその当時の天皇だったら、
同じことをしていたのだろうかと、いつもドキドキしながら勉強していたのを覚えています。
だけどこれは一般の日本人からしても実は同じことなんですよ。というのは、
自分の家系を遡って、皇室に血筋がたどり着かない日本人は、統計論からして
いないはずです。親は2人ですよね。祖父母は4人いて、曾祖父母は8人、という
具合に1世代上がるごとに先祖の数が倍に増えていくと、20世代遡ったら私たち
一人ひとりに100万人の先祖がいる計算になる。しかも20世代とは、1世代20年
だとしてもわずか400年ぐらいのことなのです。今年が皇紀2675年にあたると
考えれば、天皇の血筋を一切受けていない日本人は、統計的に存在しない。
【渡辺】そうですね。つまり皇室は、他国の元首とは違い、日本人を1つの家族と
見たときの総本家みたいなものです。それは天皇が国民を大御宝として家族や
わが子のように慈しんできた関係にも表れています。
【竹田】古事記には初代神武天皇のご即位の経緯から第33代推古天皇まで、
それぞれの皇嗣(天皇の子)たちがどこの豪族のご先祖様になったのかが
書かれています。33代までを見ただけでも、東北から九州南部まで、
ほぼ全国的に地名を網羅している。日本各地どこに住んでいようが皇室の
血筋というのは2600年前からシャワーのように降り注いでいるので、
県とか関係なしに同じレベルで日本人の血筋は必ず天皇にたどり着くと。
【渡辺】さらに、長い歴史のわが国では、天皇家だけでなく戦国武将や
平安貴族とも私たちは血がつながっているはず。だから歴史を勉強する際に、
天皇や時代の主人公が自分たちのご先祖様なのだという意識で見ると、
臨場感がまるで変わってくる。歴史が動いた決断を自分だったらどうしていたか、
どんな気持ちだったのかと感情移入して考えるだけでもワクワクしてきます。
でも、学校の歴史の授業は物語ではなく、いつ、何が起こり、どうなりました、
という原因と結果に焦点が置かれ、「ここは試験に出るので覚えてください」
となってしまう(笑)。 >>2へ続く
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