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★国籍取得を安倍首相に要請=比残留日系人
安倍晋三首相は22日、終戦後にフィリピンに残され無国籍となった日本人や
日系2世らで構成する「フィリピン日系人会連合会」のカルロス寺岡前会長らの
表敬を受けた。カルロス氏らは日本国籍の早期取得を求める要望書を首相に提出。
同席者によると、首相は「皆さまは戦後70年も大変苦労された。政府としても
問題をしっかり捉え、解決への道を歩みたい」と応じた。 (2015/07/22-18:12)
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★<比残留日本人2世>首相と面会、父の身元調査要望
毎日新聞 7月22日(水)21時26分配信
戦前戦中のフィリピンで、日本人の父とフィリピン人の母の間に生まれた
「フィリピン残留日本人2世」らが22日、首相官邸で安倍晋三首相と面会し、
戦乱で分からなくなった父親の身元調査実施など2世への支援を求める要望書を、
約2万8000人分の署名とともに手渡した。
2世らが生まれた当時は日比両国とも父系血統主義で、父が日本人なら子も日本人。
だが、戦死や強制送還などで父と離ればなれになり、無国籍になった2世が今なお
約1200人いる。日本国籍を求める2世は日本の家庭裁判所に新たな戸籍を作る
「就籍」を申し立ててきたが、証拠資料が乏しく実現困難な場合が多い。
このため日比友好議連(会長・小坂憲次参院議員)が外務省に協力を要請。
外務省は今後、民間団体がしてきた就籍申請のための現地調査に大使館職員を
立ち会わせる方針を示した。
議連からこうした経緯を聞いた2世のレムエル・ヨシムラさん(75)は
「日本人として余生を過ごしたい。残された時間は少ない。私たち同胞を
救ってください」と政府の主体的な調査と支援の必要性を訴えた。
2世らは父親捜しを支援してきたNPOと日本財団の計らいで来日している。【山田奈緒】
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★「日本人として死にたい」=比残留2世、苦難の戦後
時事通信 7月22日(水)20時1分配信
「私の血を見れば、日本人と分かるはずだ」。
日本人の父親を持つフィリピン残留日本人2世らが22日、安倍晋三首相との面会に先立ち、
東京都内で記者会見し、切羽詰まった表情で自身のルーツを訴えた。敵国の子孫として
戦後はいじめに遭うなど苦難の人生を歩んだが、「日本人として死にたい」と語り、
政府に国籍取得への支援を求めた。
レムエル・ヨシムラさん(72)の両親は1936年にフィリピンのアンティケ州で結婚。
「フジショクドウ」という屋号の飲食店を経営していた父親は、終戦前に妻子を残してフィリピンを離れた。
戦後、家族が直面したのは強い反日感情だった。母親はフィリピンの旧姓に変えたが、
「学校ではいじめに遭った」。9歳のころ母親が死亡し、兄弟は別々の親戚宅などに引き取られた。
身を粉にして働き、大学を卒業。教師となり、高校の校長も務めた。「日本人になりたい」
気持ちは消えず、2009年に戸籍を作る「就籍」を東京家裁に申し立てたが却下されたといい、
「どうにか(父の)身元が判明してほしい」と話す。
広島県出身の父親と生き別れたアントニナ・エスコビリヤさん(75)も、「エミコ」という
日本人名を長く伏せていた。父が日本人と分かり、兄が木に縛り付けられたこともあり、
「名前を変え、日本人の家族であることを隠した」と振り返る。
比残留日本人を支援する日本財団(東京都港区)によると、2世の平均年齢は76歳で、
約1200人が無国籍という。戦後の混乱で両親の結婚証明書が散逸したことなどから、
これまで就籍が認められたのは157人にとどまる。
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