【社会】1963年に座礁した韓国船乗組員を救出した事実を広く知ってもらおうと鳥取で写真展 [07/15]at NEWSPLUS
【社会】1963年に座礁した韓国船乗組員を救出した事実を広く知ってもらおうと鳥取で写真展 [07/15] - 暇つぶし2ch1:◆CHURa/Os2M@ちゅら猫φ ★
15/07/15 22:31:32.56
★韓国船員との絆 国境なし
2015年07月15日

◇鳥取で写真展 旧赤碕町民、52年前に救助

今から50年以上前の1963年冬、赤碕町(現琴浦町)の海岸に座礁した韓国漁船の
乗組員8人を、住民らが温かくもてなした。この事実を改めて広く知ってもらおうと、
当時の様子をとらえた貴重な写真を集めた企画展が鳥取市富安の市立中央図書館で
開かれている。今年は日韓国交正常化50年の節目でもあり、関係者は、
「交流の歴史を通じて両国関係について考え直すきっかけになれば」と期待する。(北瀬太一)

県の資料などによると63年2月16日、韓国の釜山港を出港したサンマ漁船
「成進号」は同20日に機関が故障し漂流、同27日午後に赤碕町の海岸に流れ着いた。

引き上げられた乗組員たちは、空き家を借りるなどして生活。近所の人たちが野菜や
魚を届け、乗組員たちのために、当時の町長が発起人となって、乗組員のために
募金活動もした。3月30日に町民約100人に見守られて出港、4月2日に帰国した。

企画展は、赤碕町での日韓交流を題材にしたドキュメンタリー映画を制作している
鳥取市吉成の劇団員上嶋勝巳さん(62)が企画。資料を収集する中で、生存する
乗組員や町役場などから借りたモノクロ写真をA4判に拡大コピーした計22枚を展示している。

座礁した漁船を大型クレーンでえい航する様子や、出航時に万歳する町民と乗組員、
見送りの町民に漁船から手を振る乗組員の姿など、現在、一般公開されていない
写真もあるという。上嶋さんは「出航を祝う様子から、町民が親身になって乗組員を
世話をしていたことが分かる」と話す。

16日まで。無料。

◇母がもてなす姿 記憶に

事故当時、赤碕町立赤碕小6年で漁船が海岸に近づいて来るのを見ていた北栄町瀬戸の
看護師花木幸子さん(64)は「乗組員はひげが伸び放題で少し怖かった」と振り返る。

救助された乗組員8人は、体を休めるため広い土間がある花木さんの自宅に移動。
花木さんの母親は、役場から受け入れを頼まれると、「困ったときはお互いさまですから」
と快く引き受けたという。

母親は、腹が減っただろうからと、乗組員にうどんを振る舞った。
花木さんは「どんぶりが真っ赤になるほど一味唐辛子をかけていた。
おいしそうに食べて、おかわりをしていたのが印象的だった」と振り返る。

領土や歴史認識問題で決して良好とはいえない日韓関係。花木さんは
「人助けに国境はなかった。お隣同士、もっと仲良くできるはず」と話した。

URLリンク(www.yomiuri.co.jp)


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