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★【歴史戦 第11部 もう一つの慰安婦問題(3)】「韓国兵相手の売春婦死亡」…ベトナム、封じられた「事件」
2015.7.6 01:25
ベトナムの「韓国軍慰安所」について記した米公文書には、ホーチミン(旧サイゴン)の
ディエンビエンフー通り以外の施設の名称もあった。チャンフンダオ通り沿いにそのうちの
一つの建物が残っている。近所に長年住むバイクタクシー運転手の男性(59)は施設を
マッサージを意味する「マッサー」と呼んだ。実態は売春宿だった。
営業していたのは1960年代末から70年代初め。5階建ての1階には受付があり、
約20人の若いベトナム人女性がつめていた。18歳ぐらいの女性もいたという。
同じく近くに住むグエン・ゴック・ビン(67)にも話を聞いた。元憲兵だったという
ビンは、これまで複数の日本メディアの取材に応じてきた人物だが、この日のビンは
何かを気にした様子で口が重かった。
4月に同じ場所でビンを取材したフォトジャーナリストの村山康文によれば、
施設の成り立ちについてビンはこう説明した。
「韓国軍幹部らしき人物が、親しい関係にあったベトナム人女性から建物を譲り受け、
68年ごろにオープンした」
「貧しい農村出身の10代の少女らが毎日のように大勢の韓国兵の相手をさせられていた」
しかし、今回の取材にビンは「分からない」を繰り返した。カメラを向けると、
やんわりと右手を2回横に振り、これまでは応じてきた写真撮影を拒んだ。
ベトナムでは、韓国との友好的な経済関係の維持に配慮する政府が2000年に入って、
「歴史は脇に置いて未来をみよう」との方針を強く打ち出した。ベトナム戦争中に
韓国軍が各地で引き起こした民間人虐殺事件などの歴史問題に関する言論も統制されている。
ビンは第三者による口止めは否定したが「付近をよく軍の関係者が通るので、心
配しているんだ」とつぶやいた。
× × ×
韓国軍士官らが関与したとされる米軍票の不正操作などの拠点の一つに挙げられた
「ハングック・クラブ」(韓国クラブ)があった建物も、ホテルとして現存していた。
近くで飲食店を営む男性(56)によれば、音楽や酒を提供する韓国軍向けのクラブ
だったが、売春婦もおり、他の外国軍も利用できたという。
この男性によれば、1970~73年にかけて、店の女性が死亡する事件が頻発した。
当局が調べたところ、韓国兵の相手をした売春婦ばかりだったという共通点が判明し、
当時の南ベトナムの有力紙「白黒」に掲載された。
「白黒」を探したところ、65~75年に発行されたすべての号を所蔵する図書館を
みつけた。だが、南ベトナム時代の史料は原則非公開で閲覧することはできなかった。
「子供を3人抱いていたら3、4人の韓国軍兵士が入ってきて、私を捕まえて、
頭に銃を突き付けた。子供たちを庭にほうり投げ、私を裏に連れていって強姦(ごうかん)した」
「塹壕(ざんごう)に3日間閉じ込められ、韓国軍(兵士)から『服を脱げ』といわれ、
繰り返し強姦された」
「とても怖かった。私は今もまだ、あなた方韓国人が怖い」
4月25日付の韓国紙ハンギョレは、60~80代の8人のベトナム人女性の証言を
写真入りで大きく取り上げた。ベトナム戦争中、韓国軍兵士から性暴力を受けたと
告白した被害者たちだ。
女性らが語った被害当時の具体的な状況や韓国兵に対する恐怖は生々しく、
記事は聞き取りをした韓国の団体代表のこんな感想も伝えた。
「韓国軍が行った犯罪は明らかに幹部の命令なしには不可能で、
組織的なレイプという疑惑を持たざるを得なかった」
ハンギョレが掲載した被害女性の証言は、韓国挺身(ていしん)隊問題対策協議
会(挺対協)が3月中旬、ベトナム中部で集めたものだ。
挺対協は、ソウルの日本大使館前で毎週水曜、日本政府に慰安婦への謝罪を求めるデモを
行う団体として知られる。韓国軍によるベトナムでの戦争犯罪の調査に取り組み、
韓国政府に対しベトナム国民に謝罪し、法的責任を果たすよう求めている。
>>2へ続く
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