【ヘンリー・S・ストークス】日本にとどまった理由の一つが三島由紀夫との出会い 三島が訴えた米呪縛からの脱却 [07/01]at NEWSPLUS
【ヘンリー・S・ストークス】日本にとどまった理由の一つが三島由紀夫との出会い 三島が訴えた米呪縛からの脱却 [07/01] - 暇つぶし2ch1:◆CHURa/Os2M@ちゅら猫φ ★
15/07/01 15:50:34.66
★【話の肖像画】ヘンリー・S・ストークス(3)三島が訴えた米呪縛からの脱却
2015.7.1 08:30

□元ニューヨーク・タイムズ東京支局長

〈日本にとどまった理由の一つが作家、三島由紀夫との出会いだった。
今年は生誕90年、自決して45年を迎える〉

三島は当時、昭和天皇を除くと、世界で最も話題性のある日本人でした。
「日本の魂」に触れようとインタビューしました。彼の率直さが好きでした。

〈1969(昭和44)年3月、三島の富士山麓雪中演習に外国人として初めて同行した〉

「日本はどう生きるべきか」。三島は苦悩の中にいました。彼の指摘は本質を
突いていました。彼を通して日本が抱える問題と進むべき方向性が見えました。
三島は、米国によって日本が「属国化」されたことを嘆いていました。

〈1970(昭和45)年11月25日、三島が自決した日、マニラに向かうはずだった。
台風で飛行機が欠航となり、自決を知った〉

茫然(ぼうぜん)となりました。中途半端な行動をしない男で、死ぬといえば、
どんなことがあっても死ぬと思っていたからです。1カ月前に「この世の終わり」
と書かれた手紙が送られました。何度もサインを出していたのに見落とした。
「友達を見捨てた罪は許すべからざるものだ」といまだに自己批判しています。

三島が檄文(げきぶん)で訴えたことは大筋で正しい。しかし西洋では理解されていない。
事件後、英語で三島由紀夫伝を書きました。邦訳され、ギリシャ語にも翻訳されました。

〈昨年11月、三島ゆかりの熊本・桜山神社を訪ねた。ラストサムライ、
「神風連」の志士がご祭神として祀(まつ)られている〉

訪問してわかりました。神風連、特攻隊に連なる精神、自らの命を賭して
日本を護(まも)る魂の在り方に三島が衝撃を受けたのです。

西洋を知れば知るほど、日本人としてのアイデンティティーに目覚めたのです。
日本の文化、伝統が世界で希有(けう)な遺産であることを。

三島が命を懸けて訴えたかったことはマッカーサーが作った憲法の呪縛や
自衛隊など米国の「属国」のようになった戦後日本の在り方でした。
ただ反米ではありません。連合国戦勝史観からの脱却でしょうか。
三島が人々に理解されるには、200~300年かかるかもしれません。

〈多くの日本の実業家の知遇も得た〉

最も親しかったのは第3代諏訪精工舎社長だった服部一郎さんです。
電子情報機器のセイコーエプソンを立ち上げ、嘱望されながら川奈ホテル
ゴルフ場でプレー中に急死しました。今でも思い出すと悲しい。
一緒にビジネスをやる計画を立てていたので残念です。

〈来日直後、白洲次郎とも面識があった〉

黒塗りのダイムラーで、よく高級料亭に連れていかれました。妻のあき子と
ごちそうになったこともあります。英国企業の日本進出で稼いでは、
豪奢(ごうしゃ)な生活をしていました。流暢(りゅうちょう)な英語で、
人を見下して話すところは、好きになれませんでした。(聞き手 岡部伸)

URLリンク(www.sankei.com)


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