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★継承する前に中身を見直したほうがいい村山談話
日清戦争も日露戦争も日本による「侵略」だった?
2015.6.24(水) 古森 義久
日露戦争は日本による侵略だったのか―安倍晋三首相の戦後70年談話の
ベースになると見られる村山談話には、どうしてもこんな疑問が浮かび上がる。
2015年8月15日に発表される日本の戦後70年談話の内容が、国際的に大きな関心を
集めている。最大の焦点は、1995年の戦後50周年の際に出された村山富市首相
(当時)の談話を、安倍首相がどこまで引用し繰り返すか、である。
■「植民地支配」「侵略」「心からのお詫び」は繰り返されるのか?
特に注視されるのは、安倍首相が村山談話の以下の部分をその言葉通りに
自分の談話で表明するか否か、であろう。
村山談話の中核となるその部分とは次の記述である。
「わが国は遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡
の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の
人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は未来に過ち無からしめんと
するが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここに改めて
痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします」
以上の文言のなかで、中国や韓国の政府は安倍首相が特に「植民地支配」
「侵略」「心からのお詫び」という言葉をその通りに繰り返すことを求めている。
他方、安倍首相は村山談話を「全体として歴代政権と同じように引き継ぐ」と
述べながらも、「21世紀にふさわしい未来志向の談話を発表したい」と強調し、
必ずしも村山談話の文言自体を繰り返すことはしない姿勢も見せつつある。
■国際的な規則や規範に従って行われた「併合」
だが、ここで日本国民が改めて問うべきなのは、村山談話の中核部分の正確な
意味である。検証の対象となるのは、「過去の一時期、国策を誤り」「戦争への
道を歩んで」「植民地支配と侵略」「心からのお詫び」などというキーワードである。
日本の「植民地支配」と言えば、台湾や朝鮮の併合である。ほかには、文字通りの
「植民地支配」と呼べるような、他地域の長期かつ制度的な統治はない。
韓国は日本の朝鮮併合を非難し今も日本を責め立てているが、日本が朝鮮半島を
併合するに至ったのは、日露戦争が直接的な契機だった。日本の朝鮮半島併合は
1910年の日韓併合条約の結果である。この条約は日露戦争での日本の勝利が原因
となっていた。中国領から朝鮮半島へと南下の攻勢をかけていた帝政ロシアを、
日本が朝鮮から排撃したわけである。
ちなみに、日本の台湾併合は日清戦争の結果だった。日本が当時の清王朝との
戦争に勝ち、1895年の清との講和条約、つまり下関条約によって清からの台湾の
割譲を認められた。
このように朝鮮半島も台湾も、当時の国際的な規則や規範に従って日本に併合
されたのである。
日本の台湾や朝鮮の統治は、欧米諸国の当時のアジア領の植民地化とは異なる
同化政策の推進だったとも言える。しかし同化させられる側からすれば、
抑圧や弾圧だったことになる。いずれにしても日本による「植民地支配」と
されてしまうというわけだ。
■明治時代の日本の行動も「過ちの侵略」?
そうした歴史的な事実を踏まえて、村山談話の解釈に戻ろう。疑問がいくつか提起される。
日清、日露の両戦争も「国策を誤る戦争」であり、対外的なお詫びの対象となるのか?
「植民地支配と侵略」とは台湾併合、朝鮮半島併合を指すのか?
「遠くない過去の一時期」とは日清、日露両戦争の明治時代をも含むのか?
以上の3点に対する答えは、村山談話を普通に読む限り、間違いなくイエスだと
言えよう。つまり、村山談話は日清、日露両戦争は日本にとって「国策を誤る戦争」
であり、日清戦争も日露戦争も「国策を誤った侵略戦争」だったと断定している。
だが、そこには日本の国民的な合意はまったく存在しない。むしろ大多数の人が
その断定に異を唱えるのではないか。 >>2へ続く
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