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【社会】戦没者遺骨返還、軍が断念 ガダルカナル撤退後、日露以来の方針転換 昭和18年、次官が見解 - 暇つぶし2ch1:◆CHURa/Os2M@ちゅら猫φ ★
15/06/07 13:27:04.60
★戦没者遺骨返還、軍が断念 ガダルカナル撤退後、日露以来の方針転換 昭和18年、次官が見解
2015.6.7 08:00

第二次大戦で、日本が劣勢に立つ戦局の転機となった昭和18年のガダルカナル島戦撤退後、
戦没者の遺体収容が困難なため、軍として遺族への遺骨返還の断念を事実上容認する見解を
示していたことが、当時の陸軍次官の「口演要旨」から明らかになった。陸軍では日露戦争時
から、戦没者の遺骨を遺族に届けることを制度化していたが、ガ島撤退以降に形骸化。
現在も大戦の海外戦没者約240万人のうち113万人分の遺骨が戦地に残されたままに
なっている。専門家は「軍としての方針転換を示す貴重な資料だ」としている。

記録が残っているのは、ガ島撤退から4カ月後の昭和18年6月、富永恭次陸軍次官が行った
「ガ島作戦参加部隊の遺骨還送業務に関する口演」の要旨。防衛省防衛研究所の所蔵史料で、
口演の対象などは記されていない。

この中で次官は、ガ島戦の困難さに触れた上で「作戦の特質上、遺骨は必ずしも還らざる
ものあらんも英霊は必ず還るべく、此(こ)の英霊をまず原隊に還送したる上、それぞれ
遺族に交付せらるるものなり」と言及。遺体を収容できなかった戦没者については、
遺骨はなくても「英霊」を遺族に届けるとの考え方を示した。

さらに、遺骨の入っていない遺骨箱を受け取った遺族が国や軍を恨む可能性も勘案し、
「故に此の箱内には遺骨ありと考うるよりは英霊を収め参らせしものなりとの観念を十分遺族に
理解せしむるの要あり」と指摘。遺族に丁寧に説明し、納得を得ることの重要性を強調している。

日本陸軍は日露戦争開戦後の明治37年5月に制定した「戦場掃除及(および)戦死者埋葬規則」で、
戦闘後に「掃除隊」が現地に赴いて遺体を収容し、火葬後、遺骨を遺族に届けると定め、
第二次大戦初期も原則としてこの規則が引き継がれていた。

しかし、ガ島撤退以降は戦況悪化で遺体の収容が困難になり、遺骨の代わりに現地の石や砂を採取し、
遺骨箱とともに遺族に渡すことが常態化したという。

当時の事情に詳しい浜井和史・帝京大専任講師は「遺骨箱の中身が何であれ、それを『英霊』と
みなして遺族のもとへ返すことが、遺族を納得させる手段になった」と指摘。陸軍次官の口演を
記した史料について「ガ島戦などがだめ押しとなり、戦没者遺骨を遺族へ届けるという原則が
崩れたことを如実に物語っている」としている。



【用語解説・ガダルカナル島の戦い】昭和17年8月、米軍に占領された飛行場の奪還を目指し、
日本軍はガダルカナル島に上陸。激しい戦いが繰り広げられたが、日本軍は補給が途絶えて
次第に密林に追い詰められ、翌18年2月7日に完全撤退した。ガ島では約2万1900人が
戦死したが、半数が餓死だったとされる。厚生労働省によると、昭和29年度以降、
政府による遺骨収集が行われているが、6900人分が今も未収容となっている。

URLリンク(www.sankei.com)
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