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★時代の正体<87>ゲートは学びの場(3)
神奈川新聞 5月2日(土)11時28分配信
安全保障政策や世界情勢に詳しいわけじゃない。新しい基地を造る理由に「安全保障上の問題」や
「抑止力」が語られれば、釈然としないものの、はっきり反論する自分の言葉を持ち合わせてはいない。
それでもフェリス女学院大国際交流学部3年生の小倉万穂さん(21)は青く澄み渡る海を前にした時、
確かな疑問が湧き上がってくるのを感じていた。
◆基地は何のために?
「基地ができることで、長い年月保たれてきた豊かな自然やそこに暮らす人の生活が壊されるのなら、
安全保障も抑止力もやはり都合のいい論理に聞こえる」
国を守るためなら、多少の自然は犠牲になっても仕方ないのか。米軍普天間飛行場の危険除去のため、
新しい基地が必要という発想自体が矛盾していないか。
そもそも基地は何のために-。
あらゆる命を尊重することがめぐりめぐって自分たちの存在を守ることになるという環境保全の
視点に立つとき、自分を守るために他者を殺傷する軍隊の存在はやはり相いれない。
2月下旬、沖縄県名護市辺野古。新基地建設の埋め立て工事が計画されている大浦湾を一望する高台に立ち、
まばゆい輝きを放つ海原を小倉さんは目に焼き付けた。
◆戦争は終わっていない
■再訪
沖縄出身で都内の大学に通う友人がLINEで「いま辺野古が大変な状況だから、みんな見てください」
と発信していた。動画サイトで現地の抗議活動の様子を目にし、春休みを利用して飛行機に乗った。
「自分が行ってどうにかなるわけではないと思ったが、抗議を続けている人と一緒に考えたいと思った」
特定秘密保護法に反対する運動で一緒になった友人に誘われたのが大きかった。「みんなと一緒なら発信力
も増すと思った」。アルバイトを無理して休み、1週間滞在した。反対派住民と一緒に座り込みをしたり、
現地の大学生とおしゃべりしたり、海を見にいったりした。
振り返ると、目をそむけてきた自分がいる。
初めて沖縄の地を踏んだのは2011年、高校3年生での修学旅行だった。おじい、おばあから沖縄戦の経験を聞き、
集団自決を強いられた島民たちの理不尽さに触れた。
「米軍の基地を造るため、占領下に奪われた土地にあるお墓にお参りもできない。戦争は終わってないと思った」
◆何もしていない自分
2度目の訪問はその2年後。沖縄、長崎、広島、関東の大学生約30人が集まり、米軍基地や戦争について学ぶ学習会に参加した。
「その間、沖縄の情報を全く入れていなかった自分に気が付いた。新しい輸送機が導入されたことも、
米兵による事件や事故が変わらず起き続けていることを意識することはなかった」
見たこともないオスプレイが頭上を飛び、地元紙「沖縄タイムス」の紙面に変わらない基地問題の現状への
いら立ちが膨れあがっていることを知った。そうした変化に触れ、何もしていない自分に気付いた。
「自分で調べようとしていなかったのだから」。沖縄に思いを寄せたつもりでも、しょせん自分にとっては
人ごとなのか、とショックだった。
◆「よそ者」に徹しよう
■自問
初めての沖縄で出会った一人の男性の言葉をいま、思い返す。
米軍飛行場から、先祖代々の土地を取り戻す運動をしていた男性は言った。
「現状を変えられるのは、地元の人と、よそ者とばか者だ」
問題に直面している地元の人が声を上げ、地元以外によそ者が発信していき、波紋を広げる。
ときにばか者の突拍子もない行動がさらなる突破口をこじ開ける。
「それが合わさったとき、問題は解決に向かって動きだす、と」
自分はばか者にはなれそうもない。ならばよそ者に徹し、だからこそできることをやろうと思った。
「よそ者だから感じられる沖縄の異常さがあるのではないか」
横浜に戻り、春休み明け、大学の友人に「辺野古に行っていた」と打ち明けた。
「『すごいね』という一言で終わる子もいるけれど、『ニュースを見たよ。おかしいと思うよ』とか、
『日本政府は、沖縄の人の気持ちを無視しているよね』と言ってくれる子もいる。
それを聞いて『やっぱり、おかしいんだ』って再確認する」 (以下略)
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