【社会】ブラジルでひっそりと逝った「明治天皇の孫」at NEWSPLUS
【社会】ブラジルでひっそりと逝った「明治天皇の孫」 - 暇つぶし2ch1:◆CHURa/Os2M@ちゅら猫φ ★
15/04/29 15:47:29.30
★ブラジルでひっそりと逝った「明治天皇の孫」〈週刊新潮〉
BOOKS&NEWS 矢来町ぐるり 4月29日(水)8時1分配信

ブラジルに日本人移民が初めて到着したのは、1908年のこと。
以来、移民は戦前に19万人弱、戦後に5万人余を数えるが、中には明治天皇の孫もいた。

4月15日、サンパウロの自宅で逝去した多羅間(たらま)俊彦さんがそのお方だ。享年86。

1929年、後に首相を務めた東久邇宮稔彦(なるひこ)王の四男として誕生。
母親は明治天皇第九皇女の聰子内親王。つまり明治天皇の孫で昭和天皇の従弟にあたる。

47年10月、秩父、高松、三笠の三直宮(じきみや)を除く11宮家、51人が皇籍を離脱。
俊彦さんは慶應義塾大学法学部を卒業後、51年に元サンパウロ総領事の多羅間鉄輔さんの
未亡人で、広大なコーヒー園を持つキヌさんの養子になり、ブラジルに渡った。

俊彦さん本人は、小誌に〈皇籍を剥奪されても、特に何も感じませんでした。
これでようやく身軽になれると思いました〉などと当時を振り返っている。

皇籍を離れ、一農民になる意志で移民になったのに、ブラジルの日本人社会は天孫降臨だと大騒ぎで迎えた。

「日本人同士で敗戦を信じない『勝ち組』と『負け組』の対立がありましたから、
元皇族が移民で来たことで、本当に負けたと悲しむ人もいたそうです」(ブラジルに詳しいジャーナリスト)

コーヒー園の経営の後、外国からブラジルに進出する企業向けの不動産業を手がけた。
沖縄出身の移民の娘と現地で結婚、1男を授かる。迷わずブラジルに帰化、普段はポルトガル語を使う。

「腰が低く、日系人の親睦会のまとめ役をなさったりして、尊敬を集めていた」(同)

2008年、皇太子殿下のブラジル御訪問の際には、懇談の席で「両陛下からよろしくとのことでした」とお言葉を賜っている。

日本よりブラジルが落ち着くと言いながらも、皇室の慶弔に礼を尽くしてきた。

※「週刊新潮」2015年4月30日号
URLリンク(zasshi.news.yahoo.co.jp)

※過去のスレッド(DAT落ち)
【皇室】 皇太子さま 「雅子の体調にも耐えられる国があれば同行を。訪問が回復の上でも役立つものであれば、と考えております」
スレリンク(newsplus板)
【聖教新聞】皇太子さまと創価学会・池田博正副会長らが出席-ブラジル・パラナ州で日本人移住100年祭(画像あり)
スレリンク(newsplus板)


レスを読む
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch