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★【視線】首相「おわび」巡る歴史「キーワード」の無意味 政治部編集委員・阿比留瑠比
2015.4.27 10:00
安倍晋三首相が22日のアジア・アフリカ会議(バンドン会議)の演説で「おわび」に
触れなかったところ、案の定、産経新聞と毎日新聞を除く在京各紙は23日付社説で
次のように一斉に批判した。
「『植民地支配と侵略』『おわび』を避けては通れない」(朝日)
「物足りなかったのは、首相の歴史認識への言及である」(読売)
「玉虫色の表現は国内では通用しても、外国人にわかってもらえるだろうか」(日経)
「植民地支配と侵略への反省とおわびは、外交の基盤である歴史認識の根幹だ」(東京)
メディアの多くは安倍首相が29日に米上下両院合同会議で行う演説や、
今夏の戦後70年談話でもこうした歴史認識をめぐる「キーワード」の盛り込みを求めている。
安全保障分野などで産経と問題意識が近いことの多い読売は、22日付社説でもこう書いていた。
「戦後日本が侵略の非を認めたところから出発した、という歴史認識を抜きにして、
この70年を総括することはできまい」
だが、国内のこうした内向きな議論と同様に、世界各国は本当に日本が謝り続けることを求めているのだろうか。
バンドン会議では、安倍首相と中国の習近平国家主席の2度目の会談が実現し、
両氏は笑顔で握手を交わした。これは、「おわび」に言及しなかった安倍首相の演説の後のことである。
米調査機関「ピュー・リサーチ・センター」が7日に発表した世論調査では、
61%の米国民が日本の謝罪を「不要」と答え、「不十分」は半分以下の29%だった。
執拗(しつよう)に「おわび」にこだわっているのは、実は韓国と日本のメディアだけでは
ないのかという疑問が残る。少なくとも、メディアが強調する「キーワード」に特別意味はなさそうだ。
実際、安倍首相は昨年7月にオーストラリアの国会で行った演説でも、外務省案にあった先の
大戦にかかわる「謝罪」という言葉は採用しなかった。その代わり、このように語った。
「何人の、将来あるオーストラリアの若者が命を落としたか。生き残った人々が、戦後長く、
苦痛の記憶を抱え、どれほど苦しんだか。(中略)私はここに、日本国と、日本国民を代表し、
心中からなる、哀悼の誠をささげます」
安倍首相は「おわび」はしなかったが、大きな拍手を受け、多くの議員らに握手を求められた。
大切なのは特定の「キーワード」などではなく、演説に込められた理念であり、共感を呼ぶ内容だろう。
その後の共同記者会見で、アボット首相はこう訴えもした。
「日本にフェア・ゴー(豪州の公平精神)を与えてください。日本は今日の行動で判断されるべきだ。
70年前の行動で判断されるべきではない。日本は戦後ずっと模範的な国際市民であり、
法の支配の下で行動をとってきた」
ちなみに安倍首相の祖父、岸信介首相(当時)が昭和33年6月に米下院で行った演説は、
戦争終結からまだ13年もたっていないにもかかわらず、戦前・戦中には何も触れていない。
もちろん、「植民地支配と侵略」などの「キーワード」もなく、主に日本がなぜ民主主義を
選んだかが説かれている。そして岸氏の演説は何度も拍手に包まれた。
それから半世紀以上もたつのに過去に固執し、やたらと「キーワード」を振りかざすメディアや
野党の姿は異様だ。退嬰(たいえい)的かつ非生産的であり、どこか病的なものすら感じる。(あびる るい)
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