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【国際】尖閣は台湾の一部分ではないことを読み取れない中国 尖閣関連史料から見る中国の矛盾 - 暇つぶし2ch1:◆CHURa/Os2M@ちゅら猫φ ★
15/04/27 12:48:22.78
★尖閣は台湾の一部分ではないことを読み取れない中国 尖閣関連史料から見る中国の矛盾(後篇)
2015年04月27日(Mon)  平野 聡 (東京大学大学院法学政治学研究科教授)

*前篇はこちら URLリンク(wedge.ismedia.jp)

では、明を継いだ清の時代における「釣魚嶼への管理・海防管轄」はどうであったか。
清は引き続き、琉球への航海は琉球人に頼ったほか、明の遺臣である鄭氏を滅ぼして台湾西部を
領有したのちも、台湾東部は長らく「生蕃」として放置し管理していなかった。このような中、
尖閣が無主の標識的存在であった状態は清代も引き続いていたと考えられる。

・「台湾極北」よりはるか北東に浮かぶ尖閣

それにもかかわらず、中国が『釣魚島白書』にて(そして台湾も外交部公式HPにて)、
清代の地方志である『台海使槎録』(黄叔璥、1736年)にみられる「釣魚台」に着目して
「釣魚嶼への管理」を主張することは疑問の余地が大きい。

本書はまず「巻二・武備」で「鶏籠(基隆)、澹水(淡水)こそ台湾極北である」と明記している。
したがって、そのはるか北東に浮かぶ尖閣は歴史的に「台湾の一部分」ではないことが、
当時の地方官の記録から明らかとなった。

さらに本書は海防策について、「水師は外洋で戦うことは出来ず、港湾内に進んで交戦するため、
湾泊こそが戦争の場である」と述べている。明代に引き続き、人が住む沿岸・港湾こそが海防の
舞台であるという認識であり、荒波を越えて遠洋の無人島に遠征し海防範囲とすることは想定されていない。

そもそも、本書で「釣魚台」が現れるのは、現在の高雄市・鳳山から出発して、台湾海峡沿いに
反時計回りで南下したときに現れる漁港・湾泊を列挙した文章においてである。この中では鳳山に
続いて、枋寮・加六堂(加禄)といった地名が続くが、台湾の地理に詳しい人であれば即座に
「これは今日の屏東県から台東県へと向かう台湾南端部の話であり、「台湾の極北」たる
鶏籠=基隆の北へと飛躍するものではないと分かる。

この地名列挙は途中、フィリピンと台湾を隔てるバシー海峡から東について「今、塞において尽き、
小漁船のみが往来す」と記し、現在の台東県・花蓮県部分については官の実効支配が及ばない世界
であることが暗に示される。そして最後に「山後の大洋、北には釣魚台という山があり、大船十余を
泊めうる。崇爻(チョンシャオ)の薛坡蘭(シュエポーラン)、杉板船を進めうる」と記されて
締めくくられる。

このうち「崇爻の薛坡蘭」は、花蓮県・静浦にある秀姑巒(シウグールアン)渓の河口である
(参考:鄭海麟「黄叔璥《台海使槎録》所記「釣魚台」及「崇爻之薛坡蘭」考」『海峡評論』269期、
2013年5月号。URLリンク(www.haixiainfo.com.tw))。筆者の手許にある台湾道路地図
(『台湾公路達人地図大全』戸外生活図書、2007年)を見ると、河口には小さな島「奚卜蘭(シブラン)島」
が示されている。「シュエポーラン」と「シブラン」が極めて近似し、アミ族の地名に似た音の異なる
漢字が当てられたと見なしうることからして、この記録は鳳山から反時計回りに花蓮県・静浦に至る
までの湾泊一覧であることが分かる。その途中、バシー海峡から太平洋に回り込んだ後に現れる、
小島を伴った天然の良港こそが「釣魚台」ということになるが、地形に鑑みてそれは現在の台東県
成功鎮ということになろう。ここには風光明媚な岩礁の島「三仙台」があり、厳密にはこれが
「釣魚台」であろうか。

ちなみに「山後の大洋、北に釣魚台あり」について、台湾=中華民国外交部公式HP所収
「釣魚台列島は中華民国の固有領土」は、「山=台湾」と見なし、「台湾の大洋の北」とする。
しかし、ふつう台湾で「山後・後山」といえば、1870年代まで清の台湾支配が西半分・北東に
とどまっていたという経緯の連続で、台湾を貫く高い山脈の東に当たる今日の花蓮県・台東県を
指すのが一般的である。そこに広がる大洋とは、花蓮・台東県沿いの海と考えるのが自然だと
思うのは筆者だけであろうか。 >>2へ続く

URLリンク(wedge.ismedia.jp)


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