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★【両陛下パラオご訪問】「1万人の英霊、感謝している」 村井少将の息子、正巳さん
2015.4.9 22:58
【ペリリュー島(パラオ共和国)=今村義丈】パラオ共和国ペリリュー島で9日、
天皇、皇后両陛下が「西太平洋戦没者の碑」で拝礼後、戦友や遺族をねぎらわれるお姿を、
盛岡市から訪島した村井正巳さん(79)は軍服姿の父の遺影を手に、静かに見守った。
父は同島守備隊の作戦参謀で自決した村井権治郎陸軍少将。「陛下と対面させていただき、
父を含めた1万人の英霊は感謝しているのでは」と話した。
村井少将は守備隊長の中川州男大佐よりも階級が上の50代だったが、島全体を要塞化した
徹底抗戦を作戦とした第14師団司令部から、要塞構築の専門家として派遣された。
約5万人の米軍相手に、約1万人の日本軍は、壕(ごう)や洞窟を島中に張り巡らせた
複雑な陣地により、2カ月半にわたって抗戦。昭和天皇が11回もの「御嘉賞(ごかしょう)」
(お褒めの言葉)を贈る奮戦を見せる。だが、補給がない中で弾薬や食糧も尽き、
村井少将は中川大佐とともにジャングル内の洞窟で昭和19年11月24日、自決した。
大陸などに赴任していた父との記憶は少ないが、母から戦後、伝えられた軍人としての
父の言葉「軍艦が沈むとき艦長は逃げてはいけない」という言葉は、人生の教訓だ。
両陛下ご訪問に先立って訪島した村井さんは6日、ジャングルを踏みしめ、岩山の奥にある
深さ5メートル以上もの洞窟に入った。父の最期の地だ。「おやじへの最後の孝行かもしれない」。
線香を上げ、「父よあなたは強かった」という歌をささげ、涙を流した。
9日、自身は両陛下とお話はできなかったが、他の遺族にかけられるお言葉に、静かに耳を傾けた。
「父は『出しゃばるべきでない。後ろで良い』。そう褒めてくれるのでは」と話した。
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ペリリュー島守備隊幹部だった父、村井権治郎少将が自決したジャングルの岩山深くにある洞窟の前で慰霊する村井正巳さん=6日、
パラオ共和国ペリリュー島(今村義丈撮影)
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