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★【「忘れえぬ島」パラオ~遺族・戦友の戦後70年】上)慰霊引き継ぐ「墓守」 碑建立40年「きれいなまま」
2015.4.6 08:46
先の大戦で日米の激戦地となったパラオ共和国ペリリュー島。5日、11年ぶりに同島入りした
村井正巳さん(79)=盛岡市=は、同島守備隊の英霊がまつられた慰霊碑「みたま」などが
建つ北部の共同墓苑(ぼえん)で静かに手を合わせた。
5年前にがんの手術を受けたが、天皇、皇后両陛下のご慰問を知って駆けつけた。
「おやじも涙を流すでしょう」。補給を絶たれつつも奮戦した陸軍少将の父、
権治郎さんを思い、碑に故郷の水をかけ、好物の南部せんべいを供えた。
久しぶりに見た慰霊碑に「きれいなままですね」と、村井さんがつぶやく。
昭和47年に建立されてからすでに40年以上がたつが、周りの雑草はきれいに
刈り取られて清掃も行き届き、碑は輝きを保っている。
思い出すのは、過去3度の訪問で温かく迎えてくれた島の元酋長(しゅうちょう)、
トヨミ・オキヤマさんと、夫のシゲオ・テオンさんだ。なかなか訪島できない遺族らに
トヨミさんらは「私たちはみなさんの家族。死ぬまでしっかりお墓を守ります」と語っていたという。
■■■
シゲオさんとトヨミさんを、日本側関係者は親しみを込め「パラオの父、母」と呼んだ。
3千キロも離れた異郷で眠る大切な人を思う戦友や遺族らに代わり、
「墓守」として慰霊碑の維持・管理を担ってきた。
トヨミさんは父が八丈島の船大工、母がペリリュー島の酋長の娘という日系2世。
シゲオさんは両親が仙台市からパラオに移住した後に生まれた日本人だ。
それぞれ「沖山豊美」「庄子茂夫」の日本名を持っているが、慰霊碑を守ってきたのは
ペリリューの人間としてだったという。
慰霊碑の建立は現地の人々の協力がなければ実現しなかった。戦友や遺族らが当時の酋長
から共同墓苑として土地を借り受け、建てられたのが「みたま」。今では取り囲むように、
遺族会や戦友・遺族個人など50基以上の碑が立ち並ぶ。
トヨミさんが平成13年、シゲオさんが20年に死去した後も、息子で現酋長の
イサオ・シゲオさん(76)が思いを引き継ぎ、集落の持ち回りで多くの島民が清掃などにかかわる。
>>2へ続く
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天皇、皇后両陛下の戦没者慰霊ご訪問を目前に、先の大戦の激戦地、ペリリュー島の
日本軍の慰霊碑を訪れた遺族の村井正巳さん(左)、生還者の元海軍兵の土田喜代一さん
(左から2人目)ら=5日、パラオ共和国ペリリュー島(今村義丈撮影)
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トヨミ・オキヤマさん
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シゲオ・テオンさん
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