【マスコミ】チュニジアテロの被害者女性「病室前で朝日新聞記者が『(取材を)断る権利ない』怒鳴っていてショックだった」at NEWSPLUS
【マスコミ】チュニジアテロの被害者女性「病室前で朝日新聞記者が『(取材を)断る権利ない』怒鳴っていてショックだった」 - 暇つぶし2ch1:◆CHURa/Os2M@ちゅら猫φ ★
15/03/22 23:51:12.87
★朝日新聞が結城さんに謝罪「重く受け止め、おわび」

朝日新聞社は22日、チュニジア博物館襲撃テロで負傷し現地で入院中の結城法子さんが
寄せた手記で、同社記者と日本大使館員の取材をめぐるやりとりについて「ショックでした」
と述べたことを受け、「重く受け止め、おわびします」とする石合力・国際報道部長の見解を出した。

朝日新聞社によると、同社記者は事件翌日の19日午後、結城さんが入院中の病院を訪問。
救急部門責任者の医師の了解を得た上で、病棟の警備担当者の先導で病室前に移動した。
病室前にいた大使館関係者に、結城さんへの取材を認めるよう繰り返し求めた後、
諦めて病棟を退出したという。

このやりとりについて結城さんは手記で「怒鳴っている声が聞こえ、ショックでした」
と指摘。石合部長は「記者には大声を出したつもりはありませんでした」とした上で
「手記で記されていることを重く受け止め、結城さんにおわびします」と謝罪した。

同社は、23日付朝刊にこの見解を示す同部長名の記事を掲載するとしている。(共同)

[ 2015年3月22日 23:19 ]
URLリンク(www.sponichi.co.jp)

★チュニジア襲撃「死ぬと思った」 結城さんが手記

チュニジアの博物館襲撃事件で負傷し、入院中の結城法子さんが、報道機関宛てに手記を寄せ、
「私は死ぬのだと思いました」などと事件発生当時の緊迫した状況を説明しました。その手記の全文です。

日本の皆さまには多大なるご迷惑、ご心配をおかけしていることと思います。申し訳ありません、
そしてありがとうございます。事件後、ネットやテレビを見ることができず、あそこで何が起きたのか、
どのような報道がされているのか、全く分かっていません。今はとても人前に出られる状態では
ありませんので、文章で失礼させていただきます。

私と母は3月14日に日本を出発し、3月15日にイタリアのジェノバから7泊8日の予定で
MSCスプレンディダに乗り、クルーズに出発しました。3月18日の朝8時ごろチュニジアに到着し、
ガイドツアーに参加しました。英語とフランス語のガイドでしたので、話をあまり理解できて
いなかったかもしれません。

11時30分ごろ、現場となったモザイク博物館に到着しました。2階を見学している時に、
ツアーの参加者が「窓の外に銃を持った人がいる」といい、何人もがのぞいていました。ガイドは、
「チュニジアではよくあることだ」と言ったように思います。あまり緊迫感はなく、まさか発砲される
とは思いませんでした。その後、ガイドに部屋を移動するように言われ、移動している途中で銃声が
聞こえました。皆走りだしました。しかし、入ろうとした部屋で発砲され、人が血を流して倒れるのが
見えました。前の人々が立ち止まったので、私はうしろへ倒れました。その時、後方から銃声がし、
耳に痛みを感じました。部屋の入り口を振り向くと、男が銃を持って立っていました。顔は見ていません。
すぐに頭を手でおおって床にふせました。かなり長い間銃が乱射されていました。身体中に痛みがあり、
私は死ぬのだと思いましたが、とても現実のこととは思えませんでした。

しばらくして男が去り、起き上がると部屋には約10名の人々が倒れていました。
無傷の人々もいましたが、動かない人もいました。

私は左手、左耳、首に痛みがあり、血が流れていましたが、大きな問題はなさそうでした。
母は私の隣で倒れていました。首から出血し、頭の下に血だまりができていました。呼びかけると、
「首が痛い」と言い、手足を動かしたので少し安心しましたが、自力で動くことはできませんでした。
その後も遠くから銃声や爆発音が聞こえ、また犯人が戻ってくるかもしれない、と思うと生きた
心地がしませんでした。私が母を旅行に誘ったので、本当に母に申し訳ないと思いました。

銃を持った警察が助けに来てくれた時には安心して号泣してしまいました。
母を助けるようにお願いしましたが、歩ける人が先と言われ、私は母と別れ救急車へ連れて行かれました。

>>2へ続く

URLリンク(news.tbs.co.jp)


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