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【軍事ワールド】70年ぶり発見「武蔵」に見る第1級のハイテクパワーと造船技術…日本の粋を結集、引き揚げは可能か - 暇つぶし2ch1:◆CHURa/Os2M@ちゅら猫φ ★
15/03/18 13:59:16.58
★【軍事ワールド】70年ぶり発見「武蔵」に見る第1級のハイテクパワーと造船技術…日本の粋を結集、引き揚げは可能か
2015.3.18 11:00

「武蔵」を発見した-。米マイクロソフト創業者のポール・アレン氏がフィリピン中部のシブヤン海で
旧日本軍の戦艦武蔵を発見したとするニュースは、日本はもとより世界を驚かせた。アレン氏は
ツイッターで船体の写真を公開し、インターネットで映像も中継もした。終戦から70年目の発見は、
旧帝国海軍の敗北を決定づけたレイテ沖海戦の歴史を甦らせるとともに、巨大戦艦が誕生した時代
背景にも焦点を当てそうだ。当時の日本の最先端技術を集めた大和型戦艦「武蔵」。
そのハイテクパワーと戦前日本の造艦技術に迫った。(岡田敏彦)

・全ては46センチ砲のため

戦争とは、必要な時に、必要な場所へ、必要なだけの戦力(火力)を投入できた者が勝つ-。
武蔵も大和も、決戦時に巨大な46センチ(約18インチ)砲弾を敵艦にたたき込むために誕生した。
その46センチという数字には大きな意味がある。

大和型の構想が生まれたのは昭和9年とされる。当時はロンドン海軍軍縮条約により旧式戦艦の
代艦建造はできなかったが、日本では軍縮条約の期限が切れる昭和11年に備え、
新型戦艦の構想を練っていた。ひとつの“指標”となったのはパナマ運河だ。

当時は大艦巨砲主義の時代。大きな砲はより遠くへ弾を飛ばせる。敵の弾が届かない位置か
ら敵を一方的に粉砕することが可能だ。だが、巨大な砲を積むためには巨大な船体が必要となる。

ただし米戦艦は、大西洋と太平洋を行き来するのにパナマ運河を使うため、
運河を通れないような巨大戦艦を造るのは非常なリスクを伴う。
同運河を通過できる戦艦は、当時の造艦技術では、40センチ砲搭載艦程度が限度とみられていた。

一方日本は、このパナマ運河による制限(パナマックス)を考慮する必要はない。
建艦競争になれば、アメリカの工業力から見て数で劣勢となるのは必至。
それを質で、つまり砲の大きさで補おうとして誕生したのが大和と武蔵という巨大戦艦だった。

その46センチ砲は、最大射程4万メートル。砲身3つを収めた砲塔の重さは約2800トンで、
秋月型駆逐艦1隻とほぼ同等。弾の重さは1・4トンで普通車なみの重量があった。
その威力は、3万メートル先にある約40センチの装甲を破壊できたという。

大和・武蔵の機銃類は鉄板で覆われているが、これは防弾用の装甲ではなく、
主砲発射時の爆風から乗員を守るためのものだった。爆風盾のない甲板での影響を
調査する実験では“被験者”の小動物は全滅したとされる。

砲身の長さは約21メートル。この主砲を加工した巨大な旋盤は、今も兵庫県内の企業の
工場で現役として使われているというから驚きだ。当時、この砲身を工場から建造中の
大和と武蔵に運ぶため、専用の船(補給艦「樫野」)まで造られた。

・その“目”はニコン

砲がいくら強力でも、当たらなければ意味はない。当時の砲戦は砲弾を山なりの弾道で
撃ち込む遠距離砲戦で、狙いをつけるにあたって重要なのは距離の測定だった。
大和に装備された測距儀(距離計)は当時世界最大で、遠方測距の正確さの決め手となる
対物レンズ間の距離(基線長)は約15メートル。光学技術の結晶ともいえるこの測距儀は、
当時の日本光学工業(現ニコン)製だった。

このころは「陸のトーコー(東京光学機械、現トプコン)・海のニッコー(ニコン)」と言われ、
ニコンは海軍の双眼鏡など光学製品を専門的に開発、納入していた。

測距儀で得られたデータは、方位盤射撃装置に送られる。これは大小の金属歯車の塊で、
アナログコンピューターの始祖。距離や方位のほか自分の速度と目標の速度、風力に地球の
自転速度までを入力分析し、砲の向きを制御する。当時、戦艦を持つ米英独などわずかな
先進国にしか無い、ハイテクの塊だった。

・苦手な技術は

一方で諸外国に及ばなかった技術もある。そのひとつが溶接技術。船体を縦割り状態で製作し、
最後に溶接でつなぎあわせる現在の建造方式は、このころの日本では不可能だった。

 >>2へ続く

URLリンク(www.sankei.com)


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