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★【忘れない、立ち止まらない 東日本大震災から4年】改めて考えさせられる報道の姿勢「義務」と「配慮」悩みは尽きず…
2015.03.11
「報道の意義とは、一体なんだろう」と、ときどき真剣に考えることがある。
小紙(東海新報)では毎年、岩手県立高田高校の卒業式を取材してきた。
子供たちの元気な姿はどの世代の住民からも喜ばれるので、同校に限らず取り上げている。
しかし、震災で様相は一変した。以前は2、3社が扱うローカルニュースに過ぎなかった話題も、
今や十数社がつめかける全国ニュースである。陸前高田市内にあった校舎が全壊し、
厳しい学習環境に置かれた彼らを、気にかけてくれる視聴者や新聞読者がいることも想像にかたくない。
一方で、大手メディアの取材姿勢を目の当たりにするたび、冒頭の「報道とは」という疑問に行き当たる。
発災翌年の卒業式では、学校側から「遺影を含め、それを持った生徒も撮影NG」と事前通達があり、
「それはそうだろう」と納得した。遺影を撮るという行為そのものが不躾(ぶしつけ)だと思ったし、
安易な「お涙ちょうだい」記事にしてしまうことも避けたかった。
だが、多くの社はそう思わなかったらしい。遺影を抱いた生徒が入場した途端、たくさんのフラッシュがたかれ、
思わず目をむいた。無遠慮にカメラを向けられた生徒はどんな思いがしたか。その日のツイッターを開いたら
「私たちの卒業式が汚された気がする」という投稿を見つけ、いたたまれなくなった。
こういう気持ちを大手新聞社勤務の知人に話したことがある。彼は「その写真に読者が感情移入し、
震災を自分事としてとらえてもらえるのなら、必要と言えることなのでは?」と答えた。半分意外、
半分予想通りだった。分からなくはない。それも一理ある…けど…。でも…うーん…。と、納得はできなった。
4年前の大地震発生時にも似た思いを経験した。先輩記者は、津波襲来にぼうぜんと立ちすくむ人たちを見て、
逡巡(しゅんじゅん)しながらもシャッターを切った。後世に残す義務があると考えたゆえの行動だった。
だが、その瞬間、若い男性からつかみかかられんばかりの勢いで罵倒されたという。
「やっちゃいけないことだった」と先輩は話していた。「少なくとも、地元紙が読者の信頼を失ってまで
やることではなかった」と。私自身「自分が同じ状況でそれをされたら?」と考えたら、正面からの顔は撮れなかった。
しかし、先輩が一瞬考えたように、「報道の義務」を問われると頭を抱えてしまうのだ。
震災写真集などを見ると、発災時の人々の表情をとらえたものもある。そして、津波に対する恐怖や絶望を、
それらは何より雄弁に語っていると感じることも多い。何十年先の人たちに当時の様子を知ってもらうには、
こうした写真が有用でないとは言い切れない。
伝えるとはどういうことなのか-。「自分たちはこれでいいのだ」などと思考停止したくはない。
どうすることがその時点でベストであるか、一つ一つの事柄と向き合い、いつまでも悩み続けたいと思う。
■鈴木英里(すずき・えり)1979年、岩手県生まれ。立教大卒。東京の出版社勤務ののち、2007年、
大船渡市・陸前高田市・住田町を販売エリアとする地域紙「東海新報」社に入社。現在は記者として、
被害の甚大だった陸前高田市を担当する。
URLリンク(www.zakzak.co.jp)
何度も押し寄せる津波を見つめる人たち=2011年3月11日、岩手県大船渡市三陸町越喜来(東海新報社提供)
URLリンク(www.zakzak.co.jp)