【大阪の陣から400年】「まさか戦になるまい」 情報収集もせず城にこもった淀君…豊臣家滅亡とダブる、この国の「平和ボケ」at NEWSPLUS
【大阪の陣から400年】「まさか戦になるまい」 情報収集もせず城にこもった淀君…豊臣家滅亡とダブる、この国の「平和ボケ」 - 暇つぶし2ch1:◆CHURa/Os2M@ちゅら猫φ ★
15/03/06 14:27:49.39
★【西論】「ずっと夢をみつづけておりました」…豊臣家滅亡とダブる、この国の「平和ボケ」 大坂の陣400年
2015.3.6 07:00

徳川家康が豊臣家を滅ぼした大坂夏の陣(1615年)から400年がたつ。
落城迫る大坂城に籠もる豊臣方について、歴史作家の伊東潤氏が
「何とかなる、という平和ぼけした姿は今の日本とダブる」と指摘した。

大坂の陣を描いた司馬遼太郎の小説「城塞」をテーマとした、「菜の花忌シンポジウム」
(2月7日)での氏のこの発言には、どきりとさせる鋭さがあった。会場を埋めた
千数百人の聴衆も、大なり小なりそう感じたのではないかと思う。

豊臣秀吉が官位にこだわり、都の貴人に憧れたのはよく知られている。
秀吉の死後、再び世が乱れても大坂城内に残された秀頼や淀殿たちは平和で貴族的な
雰囲気から抜け出すことはできなかった。貴族的な環境と教育で育った結果だった。
そして徳川家康の奸計(かんけい)に手玉に取られていく。
小説・城塞では繰り返し、城内の信じがたい様子が描写されている。

まさか戦になるまい-。これは家康が大坂攻めの最初の命を下した後の淀殿らの気持ちである。
楽天主義ではない。家康がこちらに刃を向けるのではないかという現実の不安を抱えたまま
自分たちの方が主家だという、かつての威光だけを頼りにそう思い込もうとしている。

情報収集する力も発想もなく、家康が配下に下した命など知るよしもない。
城内では秀頼と淀殿に付きそう織田信長の弟の有楽斎(長益)でさえ冬の陣(1614年)に
際して徳川方のスパイになったというのにである。

・重なる「平和ぼけ」の姿

ここで現代の日本を見てみたい。戦後の日本に与えられた最も過酷な試練は日本国憲法である。
アメリカによって“赦(ゆる)された”日本は自らの手で憲法さえつくらせてもらえず、
世界中の国も人も平和だけを愛していると錯覚させるような前文を持つ“平和憲法”を
頂いてしまったのである。

朝鮮戦争、キューバ危機、中越戦争、ベトナム戦争、ソ連のアフガン侵攻、フォークランド紛争…。
一度も地球規模の平和など訪れたこともなく、身の回りを銃弾が飛び交っても、裸にされた
大坂城内にいる豊臣方のように、自分たちだけは何とかなると思ってきた。

北朝鮮による拉致事件も長い間、多くの日本人は知らなかった。忍び寄る危機、といった
生ぬるい話ではない。国際犯罪、諜報戦に巻き込まれていてなお気づかないでいたわけである。
今も北朝鮮は日本海にミサイルを発射し続け、安倍政権との間の拉致被害者交渉は
のらりくらりとかわしている。 

いかにして生き残り、盤石の体制を我がものにするか、ということしか考えていない国を相手に、
丸裸でのぞむ状況は、できたばかりの幕府をいかに盤石のものにするかに心を砕いて大坂に
攻め込んだ徳川家康に対する豊臣方の状況と重なりはしないか。

「戦争をしてはならない」。当たり前のことである。「粘り強い外交努力を」。そうあってほしい。
しかし危機はすでに現実のものだ。いつまでも裸でいれば、風邪をひくといった生やさしいことでは
済まなくなる。まとうべきは軍備の増強ではない。国民の意識のことだ。それは教育に始まる。
>>2へ続く

URLリンク(www.sankei.com)
豊臣の夢が炎上…「大阪城3Dマッピング」で3D映像が投影された大阪城天守閣=平成25(2013)年12月、大阪市中央区(松永渉平撮影)
URLリンク(www.sankei.com)


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