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★安倍氏は国会決議を欠席、村山首相は談話を決断 95年
藤原慎一 冨名腰隆2015年3月4日04時59分
20年前、「村山談話」はなぜ生まれたか。
村山政権で連立を組んだ自民、社会、新党さきがけ3党は、1994年6月の政権発足時、
「戦後50年を契機に、過去の戦争を反省し、未来の平和への決意を表明する国会決議の
採択などに積極的に取り組む」との合意を交わした。
決議の文案づくりは翌95年に始まったが、協議は難航。「不戦」や「謝罪」の表現を
求めた社会党に対し、自民党慎重派「終戦50周年国会議員連盟」を中心に
「後世に歴史的禍根を残す」と反発が広がった。
同年3月、新人議員の安倍晋三氏が国会で「我が国が一方的に不戦の決議をするのは
意味がない」と訴えた。安倍氏は議連の事務局長代理に抜擢(ばってき)されていた。
3党は6月6日、ようやく合意にたどり着く。不戦や謝罪には触れず、「植民地支配」
「侵略的行為」との文言が入った。ただ、妥協の末の決議文は3党それぞれに不満を残した。
3日後の衆院本会議。決議は賛成多数で採択されたが、与野党から欠席者が続出。
安倍氏の姿も議場にはなかった。全会一致が原則の国会決議が不調に終わり、
政権は大きく傷ついた。「これではいけない」。村山富市首相は、首相談話の作成を決意した。
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