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★東京大空襲で全焼 女学校の日誌見つかる
2月27日 4時26分
70年前の昭和20年の東京大空襲で、校舎が全焼した女学校の教職員がつづっていた
執務日誌が残されていることが分かり、専門家は当時の学校の対応が克明に記され、
貴重な資料だとしています。
この執務日誌は、東京・江東区にある中村高校の前身の中村高等女学校の教職員が
太平洋戦争末期の昭和20年3月から交代で記録していたものです。
日誌は、およそ10万人が亡くなったとされる3月10日の東京大空襲の様子から始まり、
「路上より猛火に包まれゆく校舎を注視し、万感こもごも胸にせまり、折からの火と風
との中に立ち去る事あたわざりき。午前6時、全く灰燼(かいじん)と化した校舎跡に
立ち戻り、いまだ燃えつつある校庭に立つ」と記しています。
東京では、その後も空襲が続き、学校は生徒を疎開させることを決めます。
そして4月3日、東京都との交渉に臨みますが、都の回答は国から新たな指示がないので、
これまでどおり東京の工場で勤労動員を続けるようにというものでした。
教諭の1人は、「時局に後手後手をうつほかなし。手をこまねいて敗戦を待つのみ」と、
戦時下にもかかわらず、敗戦ということばを日誌に記し、悔しさをにじませています。
東京大空襲・戦災資料センターの山本唯人主任研究員は、「先生が都や政府の方針と
板挟みになりながら生徒を守ろうと模索していたことが手に取るように分かる。
被災した学校の対応が克明に分かる資料は貴重だ」と話しています。
URLリンク(www3.nhk.or.jp)