【茨城】「永遠の0」ロケ地 “筑波海軍航空隊記念館” 「国のためではなく命をかけて守りたい人がいたから行った人が大半だったのでは」at NEWSPLUS
【茨城】「永遠の0」ロケ地 “筑波海軍航空隊記念館” 「国のためではなく命をかけて守りたい人がいたから行った人が大半だったのでは」 - 暇つぶし2ch1:◆CHURa/Os2M@ちゅら猫φ ★
15/02/17 00:33:21.11
★【茨城】<戦後70年 いま茨城で伝える> 特攻隊員の思い 後世に
2015年2月12日

太平洋戦争末期、多くの特攻隊員を送り出した旧日本海軍航空隊の史跡が今も笠間市に残っている。
一九三四(昭和九)年に霞ケ浦海軍航空隊友部分遣隊として開設され、後に独立した「筑波海軍航空隊」。
終戦までの間に千五百人以上の若者がこの地で飛行機操縦訓練を受けた。戦況が悪化した四四年以降は
特攻隊が編成され、フィリピン海戦や沖縄戦で七十三人が命を落としたという。

終戦後、航空隊跡地は学校を経て県立病院になり、司令部庁舎はほぼ当時の姿のまま病院の管理棟と
なっていた。建物は今、隊員の写真や遺品などを展示する「記念館」として一般公開されている。
特攻隊を描いた映画「永遠の0」のロケ地になったのを機に、映像作品を通じて地域振興に取り組む
民間団体「プロジェクト茨城」が史跡を観光拠点にしようと、一昨年十二月に開館した。

「特攻隊員となって戦死した若者たちの息づかいを伝え、訪れた人たちが戦争について考えるきっかけ
となる施設になれば」。プロジェクト茨城代表で、記念館代表も務める金沢大介さん(44)は言う。
映画セットを再現した部屋に始まり、特攻隊員たちが残した寄せ書き、家族に送った手紙、関係者か
ら寄せられた遺品など、多数の展示からは死ぬことを前提に出撃して行った隊員たちの「思い」が
伝わってくる。

開館以来の入館者は約八万五千人。平日でもバスツアー客が訪れ、全国から人が集まる観光施設に
なってきた。スタッフの小林弘之さん(32)は館内で団体客の案内をしながら「特攻は国のため
だったのだと以前は考えていたが、命をかけてでも守りたい人がいたから行った人が大半だった
のではないかと思うようになった。命の尊さを伝えるためにも、この施設を残していきたい」
と訴えた。記念館の使用期限は、三月三十一日までとなっているからだ。

当初は半年で閉館予定だったが、人気を受けて県が延長を認めた。来年三月までさらに一年間の
延長を申請中だが、金沢さんは「人が来なくなったら閉館し、建物は壊されてしまうかもしれない。
いつでも背水の陣ですよ」と明かす。

人を集めるため、若者向けのイベントも何度か開催。女子高生が戦車で戦うアニメ
「ガールズ&パンツァー」のファンや、戦艦を美少女キャラに擬人化して遊ぶゲームのプレーヤーらも集まり、
年配の世代から「戦争美化につながるのでは」と心配する声が寄せられることもあった。
金沢さんらは一つ一つ対応し、「きちんと説明した後は、皆さん納得してくれる。
何がきっかけであろうと若い人たちに来てもらうことが今は大事だと思っている」と話す。

戦後七十年の節目を迎えた今年、記念館を学外活動の場にしている大学生や専門学校生らが
「語り継ぐ記憶実行委員会」を立ち上げ、戦争体験者から証言や資料を集める活動を始めた。
八月の終戦記念日までに、慰霊の集い開催やドキュメンタリー映画の公開も控えている。
記念館存続に向けた署名活動も本格的にスタートする予定だ。(成田陽子)

URLリンク(www.tokyo-np.co.jp)

映画「永遠の0」のセットを再現した部屋で、航空隊の歴史などを解説する小林さん(左端)=笠間市旭町で
URLリンク(www.tokyo-np.co.jp)


レスを読む
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch