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【英エコノミスト誌】ヨルダン国王とイスラム教の微妙な関係 ヨルダン国民「なぜISILと戦い、アサドを助ける手助けをしているのかわからない」 - 暇つぶし2ch1:◆CHURa/Os2M@ちゅら猫φ ★
15/01/30 15:09:39.72
★ヨルダン:国王とイスラム教の微妙な関係
2015.01.30(金) The Economist (英エコノミスト誌 2015年1月24日号)

・イスラム主義勢力を抑え込もうとする国王の試みは裏目に出るか?

ヨルダンのアブドラ国王にとっては常にそうだが、政治はちょっとしたギャンブルだ。
国王は過激派イスラム主義との戦いの一環として、地域の体制に従順なタイプのイスラム教を育みたいと考えている。

アブドラ国王は、軍人からエジプト大統領に転じたアブデル・ファタハ・アル・シシ氏と組んで、
来月カイロのアル・アズハル―イスラム教スンニ派の最古の学問の中心地の1つ―にイスラム教指導者を集め、
イスラム教の近代化に関するサミットを開催する準備を進めている。

・国民の9割がスンニ派イスラム教徒、「なぜイスラム国と戦うの?」

厳格化された反テロ法によってその声は抑え込まれるかもしれないが、臣民の多くは疑いを抱いている。

人口のおよそ9割がスンニ派イスラム教徒の国にあって、多くの人はなぜ自分たちの君主が
「イスラム国(IS)」のジハード主義者に対する米国主導の有志連合に加わったのか不思議に思っている。

「国王がなぜ、ISに参加するシリアのスンニ派と戦う連合に参加し、それよりはるかに多くの人を殺してきた
バシャル・アル・アサドを支える手助けをしているのか、私たちには分からない」。あるヨルダン人の作家はこう話す。

昨年12月にヨルダンの戦闘機がシリア領内に墜落し、ヨルダン人パイロットがISに拘束された後、
退役軍人のグループは、ヨルダンは関与すべきでないと訴える声明を出した。

フランスの週刊紙シャルリエブドに対する襲撃の後、アブドラ国王が世界の首脳と並んでパリの行進に
参加したことは、さらに不満を招くことになった。国王が帰国して間もなく、シャルリエブドと、
予言者ムハンマドを描いた同紙の漫画に抗議するデモは数千人の参加者を集めた。

・故フセイン国王は政治的イスラム主義勢力と手を組んできたが・・・

年配層は、アブドラ国王の父で、政治的イスラム主義者と手を組む長い伝統を守ったフセイン国王の
比較的穏当なアプローチを思い起こす。実際、預言者ムハンマドの系譜を引くとするハーシム家の主張は、
一族に強力な宗教的信認と永続的な魅力を与えている。

フセイン国王は1950年代に、アラブ民族主義運動の革命の叫びから王国を守るために、
地域の主要イスラム主義運動「ムスリム同胞団」に頼った。フセイン国王はイスラム主義者を政府に迎え入れ、
彼らが1989年の選挙で勝利を収めると、5つの省庁を任せた。

また、1971年にヤセル・アラファト氏のパレスチナ人武装勢力「ファタハ」をヨルダンから追放した後には、
故フセイン国王は、パレスチナ人イスラム主義者らにその空白を埋めることを促した。

そして1987年、ヨルダン国内に根強く残るアラファト氏の支持勢力に対抗するため、国王はパレスチナ人
イスラム主義者が独自の武装組織「ハマス」を創設するのを手助けし、ヨルダンの首都アンマンに拠点を置かせた。

後年には、国王が結んだイスラエルとの和平条約にムスリム同胞団が感情的に反対した後、同胞団を抑え込んだ。
また、イスラム主義勢力の支持基盤が最も強い都市で票を希薄化するために、選挙区の線引きを変えた。

だが、フセイン国王は昔の盟友との関係を完全に断つことはなかった。

1997年にイスラエルのスパイがハマスのハレド・メシャルに毒を盛った時には、フセイン国王は、
今と同じく当時もイスラエルの首相だったベンヤミン・ネタニヤフ氏に対し、解毒剤を差し出したうえに、
投獄されているハマス指導者のアフマド・ヤシン氏を釈放しない限り、イスラエルとの関係を断つと脅した。 >>2へ続く

URLリンク(jbpress.ismedia.jp)


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