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【ダッカ事件】日本に帰ってくる元日本赤軍「城崎勉」…捜査官から噴出する“複雑な思い” - 暇つぶし2ch1:◆CHURa/Os2M@ちゅら猫φ ★
14/12/23 17:17:43.82
★【衝撃事件の核心】日本に帰ってくる元日本赤軍「城崎勉」…捜査官から噴出する“複雑な思い”
2014.12.23

約40年の時を経て、故国に帰る“闘士”は何を思うのか。1977年のダッカ日航機乗っ取り
事件をめぐる「超法規的措置」で出国し、別の事件で米国で収監中の元日本赤軍メンバー、
城崎勉受刑者(67)が年明けに釈放され、強制送還される見通しとなった。
警視庁公安部は86年の在インドネシア日本大使館襲撃事件の国際手配容疑で逮捕する方針だ。
戦後の事件史に深い爪痕を残した赤軍派。関係者たちも帰国を前に複雑な思いを抱く。

■「超法規的措置」で釈放、日本赤軍に合流

ハイジャック、乱射、爆破、同志の粛正…。昭和44年、過激派・共産主義者同盟(共産同)の
極左として結成された赤軍派は、日本赤軍や連合赤軍などの母体となった。
その後、各地で凄惨(せいさん)な闘争を繰り広げることになる。

城崎受刑者は富山県出身で、徳島大学を中退後、共産同赤軍派に参加。軍事革命を目指し、
金融機関を襲い資金を調達する「M(マフィア)作戦」に関与。46年に逮捕され、懲役10年が確定して服役した。

一方、政府転覆を画策した赤軍派は44年、山梨県の大菩薩峠での軍事訓練を察知され、
幹部を含め多くのメンバーが逮捕されて弱体化。京浜安保共闘(日共革命左派)と合流して連合赤軍となり、
「総括」と称した仲間のリンチ殺人や「あさま山荘」事件に突き進み瓦解(がかい)していく。

府中刑務所に服役していた城崎受刑者に転機が訪れたのは52年だ。中東に渡り、国内の赤軍派と
決別した日本赤軍のメンバーがパリ発東京行きの日航機をハイジャック、バングラデシュのダッカ空港に
強制着陸させたうえ、身代金600万ドルや仲間の釈放を要求した。

「人ひとりの命は地球より重い」。福田赳夫首相(当時)の最終決断で、日本政府はグループの求めに応じる
「超法規的措置」に踏み切り、獄中の城崎受刑者も釈放され、日本赤軍に合流した。

■元捜査官「なんとしても“結末”見たい」

「一人の元捜査官としてなんとしても“結末”を見たい」。初代内閣安全保障室長の佐々(さっさ)淳行
(あつゆき)氏(84)は思いを絞り出した。29年、国家地方警察本部(現・警察庁)に入庁、
警備や公安畑の一線に立った。キャリアと並行して学生運動や過激派が隆盛。命をやりとりする
修羅場を目の当たりにしてきた。

45年、赤軍派のメンバーが北朝鮮に渡った日航機「よど号」ハイジャック事件、連合赤軍が人質を
取って立てこもり、警察官の殉職者も出た47年の「あさま山荘」事件、そしてダッカ事件をめぐる
超法規的措置。赤軍派と対峙(たいじ)してきた佐々氏にとって、怒りと無念が交錯する記憶だという。

日本赤軍は各国でテロに及び、身代金や獄中メンバーの釈放を要求、組織の活路を見いだした。
「捜査員は血のにじむ努力で行方を追っていた」。だが、各国に散ったメンバーはさらにテロの恐怖を拡散させた。

「生きているうちに(城崎受刑者の)姿を見られるとは思わなかった」と佐々氏は感慨深げに話す。
さらに「今回はひとつのきっかけ。日本のありようが問われている」とも語る。

北朝鮮に亡命したよど号グループや、テルアビブ空港で100人を殺傷するテロに関与し、
レバノンに亡命中の岡本公三容疑者(67)は、所在が判明しながら身柄の引き渡しは宙に浮いたままだ。

「指名手配すれば終わりではない。独立主権国家として、毅然(きぜん)と引き渡しを要求すべきだ。
そうしないと『赤軍』は決算されない」 >>2へ続く

URLリンク(www.zakzak.co.jp)
日航機乗っ取り事件(ダッカ事件)で超法規的措置により釈放され出国する直前の城崎勉受刑者=昭和52年10月1日、東京・羽田空港
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