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★【発見!かながわ ヒストリート】人も文化もチャンプルー
2014年10月10日
「リトル沖縄」と親しまれる横浜市鶴見区の潮田(うしお・だ)地区。沖縄出身者が多く住み、
仲通り商店街は、沖縄料理店や沖縄民謡を楽しむことのできる店が並ぶ。
ブラジル、ペルーなど南米系や朝鮮系の住民も暮らす地区は「多文化が共生する街」としても知られる。
京急鶴見駅を降り、潮見橋を越えると、鶴見川沿いに「潮田の渡し場跡」碑が見える。1910(明治43)年に
潮見橋ができるまで、渡し船が鶴見と潮田地区を結んでいた。潮見橋は架け替えを繰り返し、
現在架かっている4代目は2009年に完成した。
橋を渡ると潮田地区に入る。橋が架かったことで物流が盛んになり、戦後には区画整理事業で縦横に直線の
道路が整えられた。現在は住宅や公園も増え、雑多な雰囲気だ。商店街には、個人商店が立ち並び、
珍しい品を求めて訪れる観光客も多い。街を歩けば飛び交うポルトガル語やウチナーグチ(沖縄方言)が耳に飛び込んでくる。
「潮田は多文化がうまく融合しながら発展してきたんです」と話すのは、鶴見歴史の会相談役の林正己さん(86)。
戦前から潮田地区に住んでいるという林さんによると、潮田地区に初めて移り住んだ沖縄県人は1899(明治32)
年に那覇港を出発した「チャイナ丸」の船員。ハワイに出稼ぎに行くため、途中の横浜に停泊し、
一部が潮田地区に住み始めたという。
移住者が多い理由には、鶴見区を含む京浜工業地帯の成り立ちも関わっている。1912(明治45)年に実業家、
浅野総一郎らが「鶴見埋立組合」を設立。13(大正2)年には、財界人の後援を得て、川崎から鶴見にかけての
海岸沿いの低湿地帯を埋め立てる大規模工事が着手されると、埋め立て地に工場が次々と誕生。現在の工業地帯の礎となった。
工業地帯の発展に伴い、労働力の需要が高まり、南米などに移住していた沖縄県人が知り合いを頼って潮田地区に
定住するようになった。「潮田は多国籍だが、沖縄にルーツを持つ人が多い」と林さん。多くが京浜工業地帯の
造成に関わっており、「彼らこそ、縁の下の力持ち」と評価する。
潮田地区での一大イベントは毎年8月に行われる「道じゅねー」。大人から子どもまでが沖縄の伝統芸能
「エイサー」を踊りながら家を訪ね、街中を練り歩く。おきなわ物産センターの佐藤秀保さん(35)は今年、
潮田の雰囲気を気に入り、移り住んだ。
「沖縄だけでなく、多様な人々と触れ合えます。みんなが独特のペースで暮らしているので、毎日、色々な発見があるのが魅力です」
■寄り道メモ
●おきなわ物産センター 沖縄の食品や民芸品などを購入できる、仲通り商店街の名物店。
沖縄そばやゴーヤチャンプルーを食べられる料理店も併設しており、気軽に沖縄らしさを味わうことができる。
店内では沖縄関係のイベント情報も発信している。(電話番号はリンク先へ)。
●東漸寺 真言宗の寺で、本堂横に在日朝鮮人の団体から贈られた大川常吉・鶴見署長の顕彰碑が立つ。
関東大震災後、流言飛語が飛び交う中、大川署長は300人余の朝鮮人と中国人を同署に保護。
1千人近い暴徒を説得し、人命を救ったとされる。
●潮田神社 1919年(大正8年)、東潮田の杉山社、西潮田の御嶽社が合併。
翌20年、潮田神社と改称した。境内には大田蜀山人の「調布日記」に記されている「海翁石」と刻まれた
ちょうず鉢がある。海翁とは漁師のこと。毎年6月には例大祭が開かれる。(黒石直樹)
URLリンク(www.asahi.com)
沖縄関連の店の並ぶ仲通り商店街=横浜市鶴見区
URLリンク(www.asahi.com)
鶴見川沿いにある「潮田の渡し場跡」=横浜市鶴見区
URLリンク(www.asahi.com)