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【中東情勢】なぜアラブ諸国では「国家分裂」が続くのか 100年前に英仏が引いた国境線が限界に - 暇つぶし2ch1:◆CHURa/Os2M@ちゅら猫φ ★
14/09/20 15:41:30.74
★なぜアラブ諸国では「国家分裂」が続くのか 100年前に英仏が引いた国境線が限界に
シェロモ・アヴィネリ :ヘブライ大学政治学教授 2014年09月20日

イラク北部から恐ろしい話が伝わってくる。そして、シリアの内戦では虐殺が続いている。
これらの事態は、中東で構造的な転換が進行している証しだ。第1次世界大戦からほぼ100年経った現在、
敗戦国オスマン帝国の崩壊を受けて形成されたこの地域の国家体制が、揺らいでいるのだ。

現在の中東の地図は、第1次世界大戦に勝利した英国とフランスが線引きした。
戦争終結前に両国が協定を結び、中東での勢力範囲を確保した。しかしこの協定は、この地域の歴史、
民族的・宗教的伝統や帰属関係、それに現地の人々の意思をまったく無視したものだった。

■人工的に引かれた国境線
イラク、シリア、レバノンの国境線は恣意的・人工的に引かれた。この体制が揺らぎ始めている。
米国主導のイラク侵攻は、フセインを権力の座から追い払っただけではない。スンニ派による少数支配にも
終止符を打った。イラクで多数を占めるシーア派は、抑圧から解放されると、米国が後押しする民主的選挙は
国全体にシーア派の覇権的支配を行き渡らせる手段だと考えるようになった。

今日のイラクは、かつてのような一体的なアラブ人の国民国家ではない。北部の「クルド地域政府(KRG)」は、
事実上の国家だ。独自の軍隊や国境警備当局を持ち、領域内にある天然資源を(ある程度)管理している。
外国政府がKRGの首都エルビルに置いている領事館は、事実上、大使館として機能している。

シリアでは、民主化要求デモがすぐに武力抗争へと堕落した。多数を占めるスンニ派が、アサド一族が率いる
アラウィー派の支配に異議を唱えだしたのだ。どうすれば一体的なアラブ人の国民国家として再建できるのか、見えてこない。

イラクとシリアで中央政府が事実上崩壊し、まったく新しい組織「イスラム国」が台頭した。その残虐な行為と
イスラム教イデオロギーは、従来の国境線が退場の時期を迎えたことを、はっきりと示している。
「イスラム国」の最近のレバノン侵攻により、レバノン国内の勢力均衡が不安定さを増しているようだ。

スーダンは、英国が1890年代に作り上げ、広大な国土と多民族・多宗教を抱えるが、紛争が続いている。
凄惨な内戦が長年続いた揚げ句、2011年に南スーダンが独立し、キリスト教徒とアニミズムを信仰する人々が
アラブ・イスラム教のくびきから解放された。しかし、スーダン西部のダルフールは流血が絶えず、
南スーダンは安定した国家には程遠い。

リビアも分裂の道をたどっている。第1次世界大戦直前に、イタリアがオスマン帝国からトリポリタニアと
キレナイカの2地域を奪い取り、両地域には歴史的にも文化的にも根深い違いがあるのに、無理やり統一体
「リビア」を作り上げた。2011年にカダフィ大佐が死去して以降、一貫した国家体制を確立できず、
6人の首相が交代した。西洋諸国は、民主的選挙によって選ばれた統一政府を確立する必要があると訴えるが、
まったく見当違いに響く。

■多数決政治=イスラム教による支配
例外が1つある。エジプトだ。国内にさまざまな問題を抱えているにもかかわらず、歴史と国民の意識に深く根差した、
一貫性ある統一体だ。

にもかかわらず、中東地域特有の構図はエジプトにも当てはまる。世俗主義は、西洋諸国では、啓蒙運動に裏打ち
されたリベラルで民主的な勢力の台頭を受けて起こったのに対し、イスラム教の盛んな中東では、世俗主義を
押し付けたのは独裁的支配者だった。この構図がわかると、なぜシリアではキリスト教徒やイスラム教少数派の
ドルーズ派がアサド政権を支持し、なぜエジプトではコプト派キリスト教徒が軍事政権を支持するのか、理解できる。
彼ら少数派にとって、民主的な多数決主義による支配は、イスラム教徒による支配とイコールなのだ。

もし西洋が、中東に今後誕生するのは必然的に欧州型の国民国家であるはずだ、と考えているとすれば、
それはうぬぼれにすぎない。(週刊東洋経済2014年9月13日号)

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